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空気を読まないサラリーマンをやってます。1980生まれ男です。既婚。2011年生まれ息子、2013年生まれ娘あり。

アニメ「平家物語」最低限の歴史背景やびわの歌をまとめてみた

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アニメ「平家物語」人物相関図

(↑人物相関図:アニメ「平家物語」公式サイトより)

2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を放送中のタイミングで同時代の「平家物語」が新作アニメとしてリリースされていると知り、さっそく鑑賞した。
キャラが立っていて、絵も音楽もかっこいい。日本が誇る古典名作が一流の製作陣とキャストによって最新作として楽しめるのはうれしい。
監督は「けいおん!」などの傑作を多数生み出した山田尚子

わずか全11話で「激動の15年」を描くため、飛ぶように時が流れていく。
歴史モノなので実際の史実を調べたり、平家物語の文語、現代語の対訳などを確認しながら鑑賞した。


■第1話「平家にあらざれば人にあらず」
・「祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」
・【1170年(嘉応2年)】「殿下乗合事件」:平資盛が摂政・藤原基房の牛車とすれ違うときに下馬の礼を取らなかったことを無礼だとして、基房が資盛を馬から引き摺り下ろすなどのの恥辱を与えたことに対し、平清盛が激怒し、後日報復を加えた事件
・「六波羅の兵(つわもの)ども、ひた甲(かぶと)三百余騎、待ちうけ奉り、殿下を中にとり籠め参らせて、前後より一度に時をどっとつくりける。そこに追っかけ、ここに追っつめ、馬よりとって引き落とし、髻(もとどり)を切る。これこそ平家悪行のはじめなれ」


■第2話「娑婆の栄華は夢のゆめ」
・資盛、殿下乗合事件の謹慎のため伊勢へ。
・清盛に寵愛された2人の白拍子祇王と仏御前のエピソード。
・「娑婆の栄華は夢の夢、楽しみ栄えて何かせむ。かように様を変えて参りたれば、日ごろの咎をば許し給え。許しましょうと仰せられば、諸共に念仏して一つ蓮(はちす)の身とならん」
・【1171年(承安元年)12月】:徳子、高徳天皇に入内する。


■第3話「鹿ケ谷の陰謀」
・前回から6年が経過、資盛の謹慎は解けており、徳子は未だ子を授からず。
・【1176年(安元2年)7月】後白河法皇の妻・滋子亡くなる。後白河法皇と清盛の仲を取り持つ調整役だった滋子が亡くなり、両者の関係が不安定に。
・【1177年(安元3年)】厳島神社で平家一門が徳子に子宝が授かることを祈願する。重盛の息子三兄弟(維盛・資盛・清経)が潮の引いた厳島の海を歩くのを、びわが後ろから見るシーンが"二度と戻らぬあの日"の象徴のようで印象的。
・今回描かれる白山事件と鹿ヶ谷の陰謀の背景には、2つの対立(後白河法皇 vs. 清盛)と(園城寺 vs. 延暦寺)がある。後白河法皇園城寺を、清盛は延暦寺をそれそれ信仰したため、これらが組み合わさり(後白河・園城寺派)と(清盛・延暦寺派)の対立構図となる。
後白河法皇の側近に西光、藤原成親俊寛がいる。西光の子が藤原師高と藤原師経。
延暦寺の一番偉い人が天台宗座主・明雲
・以上をまとめると、こうなる
・(後白河・園城寺派):西光・藤原師高・藤原師経・俊寛藤原成親
・(清盛・延暦寺派):明雲
・【1177年(安元3年)3月:白山事件】西光の子・藤原師高と藤原師経が延暦寺系の加賀・白山寺にイチャモンをつけて寺を焼いてしまった。延暦寺・明雲はこれに怒り、師高・師経の処分を求めて強訴。後白河法皇は強訴から内裏を守ることを重盛に命じる。強訴を退ける際、重盛の兵が神輿に矢を当ててしまい、さらに僧徒に死者も出た。強訴の僧徒たちは神輿を放置して延暦寺に退却したが、強引に強訴を退ける形となったことで新仏の祟りや延暦寺の報復を恐れた後白河法皇は、延暦寺の要求通り、師高は流罪、師経は禁獄の処分を下した。
・「さて神輿(みこし)を先立て参らせて、東の陣頭、大賢門より入れ奉らむとしければ、狼藉たちまちに出で来て、武士ども散々に射奉る。神輿にも、矢どもあまた射たてたり。神人宮仕射ころされ、衆徒多く疵を被る」
・【1177年(安元3年)4月:安元の大火(太郎焼亡)】平安京の三分の一が灰燼に帰したと言われる大火事。重盛の屋敷も消失した。
・【1177年(安元3年)5月:延暦寺攻撃命令】(アニメでは省略されたエピソード)このたびの強訴で延暦寺側の要求を呑むことになった後白河法皇だったが腹の虫がおさまらず、強訴の責任は明雲にあると言いがかりをつけ、座主職の罷免と所領の没収、伊豆への配流を決定する。延暦寺はこの決定に反発し、護送中の明雲を力づくで奪還した。これに対し後白河法皇は、平家に延暦寺攻撃命令を出す。神罰や仏罰が真実であると考えていた当時として、延暦寺を攻撃することは考えられないことだったのみならず、清盛は延暦寺を信仰していたことから、この命令は二重の意味でとんでもないことだった。清盛は後白河法皇を必死に説得するが及ばず、やむなくこれを受諾した。
・【1177年(安元3年)6月:鹿ヶ谷の陰謀俊寛の鹿ヶ谷の邸にて、打倒平家の密議がなされた。同席していたのは後白河法皇およびその側近の俊寛、西光、藤原成親など。密告によりこれを知った清盛は延暦寺の攻撃を中止。"鹿ヶ谷の陰謀"の関係者を軒並み捕らえた。西光に全てを自白させた清盛は西光を打ち首にすることを決定し、さらに後白河法皇を幽閉しようとしたが、重盛の命をかけた説得により清盛はこれを思いとどまった。関係者の処分は、西光および子の師高は惨殺、藤原成親は流刑のち殺される。藤原成親の長子・成経は鬼界ヶ島に配流。俊寛と平康頼も鬼界ヶ島に配流。


■第4話:無文の沙汰
・【1178年(治承2年)】徳子の安産祈願の恩赦により、藤原成経、平康頼は赦免され京に帰るが、俊寛は許されず鬼界ヶ島に残される
・「『さて、いかにおのおの、俊寛をば遂に捨て給うか』『これ乗せてゆけ、具してゆけ」と、をめき叫べども、漕ぎ行く舟の習いにて、跡は白浪ばかりなり。いまだ遠からぬ舟なれども、涙に暮れて見えざりけれ」
・【1178年(治承2年)12月】後に安徳天皇となる、徳子の子が無事生まれる
・【1179年(治承3年)6月】9歳で摂政・近衛基実に嫁いでいた清盛の娘・盛子が死去(24歳)
・【1179年(治承3年)7月】重盛、42歳で死去


■第5話:橋合戦
・重盛が亡くなったため、重盛に代わる新しい平家の指導者層の出番が増える。宗盛は既におなじみだが、知盛は強い武将として、重衡は知性のある武将として、性格はともに優しい兄貴分キャラとして描かれる。
・【1179年(治承3年):治承3年の政変】藤原家に嫁いだ娘・盛子、そして平家のナンバー2・嫡男の重盛が相次いで亡くなると、そのいずれの所領をも後白河法皇により没収され、怒った清盛が後白河法皇を幽閉、反平家の院近臣の官職を解き平家に好意的な公家たちを代わりに重要な官職につけた。清盛によるクーデター。
・【1180年(治承4年)4月】安徳天皇即位
・【1180年(治承4年)5月:以仁王による平家追討の令旨】"治承3年の政変"により後白河法皇をも追い落とし、独裁色を強めた平家政権に不満を持っていた以仁王が「平家追討の令旨」を全国の豪族に向けて発布。以仁王源頼政の軍は園城寺から奈良の興福寺に逃げる途中、平等院で平家軍に追いつかれ、宇治橋で戦闘になる。平家軍は宇治橋の戦いを制し、源頼政平等院にて自害、以仁王も逃げ延びる途中で矢を受け死亡。その後、園城寺興福寺は再び平家への反抗の姿勢を見せたため、12月、平家は園城寺を焼き討ちにした。
・「平家二万八千余騎、木幡山うち越えて、宇治橋の詰に押し寄せたる。『すはや、討ち奉れ、討ち奉れ』しかれども…(『橋を引いたぞ、過ちをするなー』)…後陣これを聞きつけず、我先にと進むうちに、二百余騎、押し落とされ流されけり。これより両方の詰にうっ立って矢合わせす。そこへ五智院の但馬、鎧もかけず、楯も持たず通りける。向かってくるをば斬って落とす、斬って落とす。してこそ矢切の但馬と言われけれ」


■第6話:都遷り
・【1180年(治承4年)6月】福原遷都
・【1180年(治承4年)8月】頼朝挙兵
・【1180年(治承4年)10月:富士川の戦い】重盛の嫡男・維盛が率いる平家軍が、水鳥がいっせいに飛び立つ音を源氏の奇襲と勘違いし混乱に陥り戦わずして敗走
・「その夜の夜半あたり、富士の沼にいくらも群れ居たりける水鳥どもが、何にか驚きたりけん。一度にばっと立てる羽音の、大風、雷などの様に聞こえければ、平家の兵ども『すはや源氏の大勢の寄するは、取り籠められては敵うまじ。』平家の兵ども、取る物もとりあえず、我先にとぞ落ち行きける」


■第7話:清盛、死す
・【1180年(治承4年)11月】都を京都に戻す
・【1180年(治承4年)12月:南都焼き討ち】平家に対して反発を深める奈良・興福寺に対し、清盛は重衡を総大将として兵を送り込んだ。この争いの中で、火が想定外に燃え広がり、興福寺のみならず東大寺も巻き込んで大部分が消失した。これにより平家は世間より大変な反感を買い孤立を深めた。重衡本人もこの罪深い行いを反省し思い悩んだ。
・【1181年(治承5年)1月】高倉上皇崩御
・【1181年(治承5年)2月】清盛死去(64歳)
・徳子「女人五つの障りあり 無垢の浄土は疎けれど 蓮花し濁りに開くれば 龍女も仏に成りにけり」


■第8話:都落ち
・【1181年(治承5年)3月:墨俣川の戦い尾張美濃国境付近の墨俣川にて、重衡・維盛の平家軍が源行家を下した
・【1183年(寿永2年)5月:倶利伽羅峠の戦い木曾義仲が支配する北陸方面に平家は維盛を総大将とする10万の兵を差し向け、倶利伽羅峠の戦いで壊滅的な敗北を喫した。木曾義仲は京に向けて進撃を開始、兵力を失った平家に連戦連勝し、7月に入京を果たした
・「平家後ろを顧みれば、白旗雲のごとし。前後より敵は攻め来る。人には馬、落ち重なり重なり。さばかり深き谷一つを平家七万余騎で埋ずめたり。巖泉血を流し、死骸岡をなせり」
・【1183年(寿永2年)7月:平家都落ち】平家は一門の六波羅・八条邸を焼き払い、都を出た。福原に立ち寄り一夜を過ごした後、九州に向かった。


■第9話:平家流るる
・【1183年(寿永2年)9月:後鳥羽天皇即位】安徳天皇を平家に連れ去られた後白河法皇高倉天皇の第四皇子を後鳥羽天皇として即位させる。
・"太宰府落"エピソード。太宰府まで落ち延びた平家だったが、後白河法皇院宣を受け取った豊後の緒方三郎により太宰府を追い出される。平家一門は徒歩で箱崎まで移動。途中、平家の行く末に絶望した清経が入水自殺する。
・【1183年(寿永2年)10月:水島の戦い】備中国・水島(現在の倉敷市)にて、平家の軍が木曾義仲の軍を破る
木曾義仲後白河法皇を幽閉。後白河法皇と頼朝は「寿永二年十月宣旨」により手を結び、頼朝は範頼と義経を京に派兵する。
・【1184年(寿永3年)1月:宇治川の戦い源範頼義経の軍が木曾義仲を破る。木曾義仲は近江まで落ち延びた末、討ち死に。
・【1184年(寿永3年)7月:一ノ谷の戦い】"義経の逆落とし"エピソード。源氏の武将・熊谷直実が、若き平敦盛を討ち取るときに心を痛めるエピソード
・「扇を上げて招きければ、敦盛招かれて取って返す。首をかかんと甲を押し仰けて見れば、年は十六・七、容顔まことに美麗なり。『あはれ助け奉らばや』と思いて、後ろを見れば…」


■第10話:壇ノ浦
・平家一門(時子、宗盛、知盛、維盛、資盛、安徳天皇、徳子)は、屋島の平家拠点にいる
・一ノ谷から逃れる途中に捕らえられた重衡は後白河法皇の手に渡り、重衡の身柄と3種の神器との交換交渉がなされるが平家に拒絶され、鎌倉の源頼朝の元に護送される。(その後、重衡を憎む南都衆徒に引き渡され、斬首された)
・維盛は戦いに疲れ、矢島の屋敷を抜け出し出家し、入水自殺
源頼朝によって源範頼が"九州征伐"に派遣されるが、関門海峡にある彦島の平家拠点を平知盛が半年に亘って防衛する
・【1185年1月:屋島の戦い義経屋島を攻め、平家は追われて海に逃れる。"那須与一の扇的当て"エピソード
源頼朝(?)「(平家は)花も芽も種も絶やす」→OP主題歌「光るとき」の歌詞「いつかまた枯れた後で種になって続いてく」と呼応
・【1185年3月】壇ノ浦の戦い
・「平家一千余艘、源氏の船は三千余艘、源平両方陣を合わせて鬨をつくる。上は梵天までも聞こえ、下は海竜神も驚くらんとぞ覚えける。」


■第11話:諸行無常
・「幼き帝、山鳩色の御衣に、角髪(びんづら)を結わせ給いて、お涙におぼれ、小さく美しき御手を合わせ、まず東を伏し拝み、その後、西に向かわせ給いて、御念仏ありしかば、二位殿やがて抱き奉り『波の下にも都の候うぞ』と慰め奉る。悲しきかな、無常の春の風、たちまちに花の御姿を散らし、情けなきかな、分段の荒き浪、玉体を沈め奉る」
・「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。」


FODプレミアム先行配信で全話視聴しての感想。第1話を見た時の期待値の半分くらいか。徳子には特にがっかりした。「私はこの子を守り抜く」とずっと言っていたのに、時子が安徳天皇を抱いて海に入るのをなぜ大人しく見ているのか?結果はオリジナルの「平家物語」通りでありながら、その行動に至る理由を見せて感動させてくれると思っていたので、それが全くなかったことに拍子抜け。未来視ができ死者も見れる、びわという飛び道具はそのために存在したんじゃないのか?
一ノ谷の海辺で、源氏の武将・熊谷直実が若き平敦盛を討ち取るときに心を痛める有名なエピソードも、もうちょっと納得感のある場面を作れなかったのか?元々このエピソードはベッタベタのコッテコテなので、演劇やそれこそ琵琶法師の語りの上では映えるだろうが、このアニメでは完全に浮いてしまっていた。か弱い美少年剣士が、ゴツいオッサン猛将と剣技であんなに拮抗した戦いする?とか、平敦盛を残して他の平家の兵が一人残らず船にキレイに乗り込んでいるなんてことある?とか、余計なことを視聴者に考えさせないでほしい笑。
"一ノ谷の義経の逆落とし"、"矢島の那須与一の扇当て"、などのエピソードの「取りあえず入れました感」も残念。前後のシーンと全然つながっていない。
後半は戦争シーンや人が死ぬシーンが多く、そういう極限状態を描ききれていないことが後半の失速感につながった。
逆に、政争シーン中心の前半は非常に良かった。ドロドロの政争をあえてコミカルに描いていてかわいい。重盛が死んでフヌケ状態になった清盛が、後白河法皇への憎しみで復活する場面とか好き。

本記事を作成するにあたり、Wikipediaのほか、以下のウェブサイトを参考にした。

「学ぶ・教える.COM 平家物語の原文・現代語訳」
http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun/heike.html

「まなれきドットコム」
https://manareki.com/sisigatani
時代背景の説明がものすごく分かりやすい。

「読書好きのための、京都案内」
https://kuragewahidarikiki.com/heikemonogatari2/2024/
今季の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の解説にも力が入っている

「春夏秋冬アニメ 考察・解説・感想ブログ」
https://animedeeply.com/gato/37620/
各話解説がかなり丁寧