※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。
作品名:朱子学に毒された中国 毒されなかった日本/井沢元彦・石平 (本 2022年)
評価:★4(★★★★☆)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/B09VB4K361
中国共産党政権が日本にとって油断ならない相手だということを再確認するのには良い本だったが、タイトルのテーマ「朱子学と中国・朱子学と日本」を十分に考察する内容ではなかった。朱子学が及ぼした悪影響についてはお二人によってたくさん語られる反面、そもそも朱子学がどういう教えなのかという説明がほとんどない。せめて朱子学の経典のようなものから適宜要約・抜粋などして説明してほしかった。お二人を信じないわけではないのだが、十分な根拠も示されない言説を信じるという態度は取りたくないから。まあ、対談本という形式だとあまり深い内容にならないのは仕方がないか。
以下、覚えておきたいところの抜粋(ときどき要約)
(p.17)「インテリのヒステリーが朱子学を生んだ」:金が宋に攻め入り、生き残った皇族は南方に逃れ南宋をつくった。軍事力では勝てませんから、頭の中でかつほかない。徹底的な外国文化への蔑視・中華意識の肥大、その論理付けに朱子が関与して朱子学が生まれた。
(p.24)「家族のためなら法も犯す」:中国人は「一族繁栄のためなら、公はどうでもいい」という発想が強い。賄賂は家族繁栄のためにいいことだから、賄賂の習慣がなくならない。中国人が利己主義に走るのは、中国には「神」がいないことが原因。キリスト教やイスラム教は「神」がいるし、日本の場合は天皇が「神」のような役割をもっているから「神の元ではみな平等」という意識が生まれ民主化できた。
(p.28)「中国の真の野望は世界征服にあり」:「中国の民衆は、香港の状況について同情しません。皇帝の統治による安定的な社会を望んでいるのに、香港の不穏な輩が騒いで邪魔をしていると見ている。厄介なのは、皇帝は天子である以上、中国で崇拝されているだけでは我慢なりません。周辺諸国もひれ伏して朝貢しないと、天子の証明とならない。まさに華夷秩序です。」
(p.65)「「権威」と「権力」の違い」:「権威」(天皇)と「権力」(将軍)の違いを日本は分けています。それは非常に賢明なやり方であって、そのおかげで、絶対的な権力者や独裁者が日本から出てこないのです。でも、中国は「権威」と「権力」を一緒にして手にしようとするから、いろんな問題はそこから生じてきています。
(p.74)「中華すら必要ない」:江戸時代の約260年間、徳川幕府は朱子学を武士に叩き込んできた。「商売は人間のクズがやること」という偏見を押し付け洗脳してきたわけです。この絶望的な課題を解決したのが渋沢栄一でした。渋沢栄一は、「論語」は商売を決して賤しいものだと蔑んでいないとみていました。儒学は学問第一ではあるけれども、開祖の孔子や孟子の時代は商売に対する偏見はさほど強くはなく、それをヒステリックに強化したのが朱子学の祖、朱子であったとみなした。そこで、「論語と算盤」という著書を世に出して「孔子の教旨を世に誤り伝えたものは宋朝の朱子であった」と広く世間に訴えました。
(p.89)「中国には「皇帝」はいても「神」はいなかった」:中国の歴代王朝は、約1300年にわたって科挙制度を実施してきました。朱子学(儒教)を徹底的に勉強し、厳しい試験に合格した人間を偉いとみなしたのです。ですから、そういう意味では、たとえ農民出身の子供でも科挙試験に合格すれば高級官僚になれるチャンスはあります。ですが、基本的には、勉強がしやすい環境にある「士」という上流階級出身の子息が合格することがほとんどでした。むしろ、この科挙制度によって民主主義的な思想は排除され、愚かな民を我々選ばれた人間が指導していくという傲慢なエリート思想のほうがより強烈になっていく。
(p.91)「資本主義は諸悪の根源だった」:朱子学の根本思想である「理気二元論」という考え方も、共産主義思想と通底する部分があります。「理」は「天理」とも呼ばれ、物事の基準となる絶対的真理であり、最高の善です。これを共産党の言葉に置き換えるとどうなるか。まず、共産主義の理想理念(マルクス・レーニン主義)こそは朱子学の「理」における根本原理、最高の善なのです。そして共産党という政党、あるいは共産党員は「理」の代弁者です。「気」が生み出すのは、食欲や性欲などの肉体的な欲望と、それに基づく名誉欲や金銭欲や権力欲などのさまざまな欲求です。この「気」を共産党の世界観に置き換えると、普通の民衆などがそれにあたるでしょう。
(p.97)「資本主義、バンザイ!」:朱子学は「人欲」を滅ぼし、「理」だけの世界にするべきだと唱えましたが、毛沢東政権も同じく、人々の欲望を徹底的に抑制したのです。金持ちになるな、性欲を満たすな、貧しい食事に満足しろ…と。ところが、フタを開けてみたら、毛沢東ほか幹部たちは酒池肉林の世界に生きていた。毛沢東政権の実態が明るみに出ると、一般庶民は共産主義の欺瞞に絶望しました。しかし、資本主義の流入で、享楽的な生活に満足を覚え憂さが晴れ、その絶望感が薄れていったのも事実です。富裕層が誕生しても、中国共産党はむしろ、それらを奨励しました。庶民は一般的な道徳・倫理を誰も信じなくなった。たとえば、「理想」「理念」なんていう言葉を口にすると、まわりからバカにされるようになりました。もの前の「欲求」「欲望」だけを充足させることこそが、絶対的善になったのです。
(p.99)「悪魔の証明」:天安門事件以降、知識人や学生たちの民主化運動に手を焼いた鄧小平は、知識人や若者たちと”悪魔の契約”を交わしたのです。「反政府運動はやめてくれ。その代わりに金儲けと欲望を充足させるチャンスを与える」と。これで中国の多くの知識人やエリートは一斉にこの”悪魔の契約”に飛びついて、「反政府」をやめ、金儲けと欲望の充足に走ったのです。独裁政権による実害が特になく、好き勝手に楽しく生きられるのであれば、政府に楯突くのは愚かなことだと思うようになった。朱子学など儒教には「来世信仰」はありません。現在の苦しみを我慢すれば、来世は幸せになるとは考えません。現在の欲望を充足させること。それが人生のすべてになる。死んだら何もないと思っていますから、生きている世界で楽しむためなら、不正なことをしても特に罪悪感を覚えません。
(p.110)「北京冬季五輪は完全にボイコットすべきだった」:(2007年の北京五輪は)結果的に開催され、のちには習近平のような独裁者が誕生してしまった。チベット支配も成功した。されらにウイグルのジェノサイドにも手を染めるようになった。
(p.141)「皇帝以外の人間には尊厳なし」:皇帝以外は、人としての尊厳が一切認められていないのです。魯迅は「灯火漫筆」の中で「中国人はもともと人の値打ちを勝ち得たことなどなく、うまくいっても奴隷でしかなかったのであり、それは今でもそうだ」と書いていますが、まさにそういう状態です。一人ひとりに奴隷根性が染み付いてしまい、それから抜け出すことができない。むしろ、人民は「いい奴隷」「模範囚」になるための努力に励みます。
(p.175)「宏池会は日本の敵、世界平和の敵か」:日本人は本当にお人好しですよね。中国が天安門事件で国際的に孤立した時、国際社会復帰のお膳立てをしてあげたのは日本の宮沢内閣です。昭和天皇の中国訪問などという「政治利用」までして中国を助けたのに、中国はそれに恩義を感じるどころか国際社会との交流で生まれた余裕を反日教育と尖閣諸島への干渉に振り向けた。そして今や世界制覇への道を進もうとしている。