※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。
作品名:韓民族こそ歴史の加害者である/石平 (本 2016年)
評価:★4(★★★★☆)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/B01L76PU9Q
タイトルに興味を惹かれて読んでみた。面白かった。韓国という国は、反面教師としては実に参考になる。
4章立てで、韓国史の4つの時代が紹介される。
◆第一章は、高句麗、百済、新羅の三国時代。要約:高句麗は隋や唐の度重なる侵略を跳ね返す、強くて誇り高い国だったが、新羅が唐の力を借りてこれを滅ぼした。中国王朝に頭が上がらない新羅が半島の統一王朝になってしまった。
百済が隋王朝の煬帝に高句麗を攻めるように再三頼み込んだ結果、煬帝の野心に火をつけることに成功。煬帝は高句麗を何度も攻めるが、高句麗の軍事力は高く征服することはできなかった。逆に戦争のために国力が弱まり隋王朝は滅亡した。
唐王朝の二代皇帝太宗も高句麗を征服しようとしたが成功しなかった。この時代は高句麗と百済が結んで新羅を攻めたため、新羅は滅亡寸前だった。今度は新羅が中国王朝を朝鮮半島の戦争に引き入れた。新羅の必死の要請に唐がついに応じた。太宗はすでに亡くなり、第三代皇帝・高宗とその皇后・則天武后の時代になっていた。唐と新羅に挟み撃ちで攻められた百済は滅亡した。
しかし滅亡した百済はこれで終わらなかった。滅亡した百済の家臣が日本に人質として滞在していた王子を担ぎ、日本の軍事支援を受けて王朝の再興を画策した。これが白村江の戦い。しかし、立役者の家臣と王子との内輪揉めで復興は頓挫し、援軍として半島に来た日本軍はほぼ全滅した。なお、当の王子は戦場から離脱して高句麗に逃げた。
百済が滅亡後、唐と新羅は挟み撃ちで高句麗を攻め、平壌を包囲した。ここでも高句麗は善戦したが、当時国王よりも権力があった武官の息子の三兄弟の内輪揉めが発生し、うち一人が唐の武力を引き入れて平壌を攻め、高句麗はついに滅亡した。
こうして朝鮮半島の三国時代は、新羅が勝者として終わりを迎えた。
◆第二章は高麗王朝の時代。要約:高麗王朝の元宗はフビライの機嫌を取るために元寇に協力し、侵略先の日本はもちろん、自国民や元の兵士も大量に殺す結果を招いた。
十世紀、高麗が建国したとき、中国は宋王朝が治め満州地域は遼という国が治めていた。高麗は宋と遼の両王朝に朝貢する事大主義の両面外交を展開した。
十一世紀、金が遼を滅ぼすと、高麗は金に服属し朝貢国となった。
十三世紀、モンゴルが勢力を拡大すると、高麗はモンゴルと金の両王朝に朝貢する事大主義の両面外交を展開した。
1231年、モンゴルが高麗を侵攻し、首都の開京が陥落したが、高麗は国王と行政機構を漢江の河口に近い江華島に移しモンゴルの何度もの侵攻を耐え抜いた。しかし1258年の政変の後、高麗は方針転換し、モンゴルからの降伏条件(1.抗戦の拠点である江華島を放棄して開京に還都すること、2.高麗の太子を人質としてモンゴルに入朝させること)を受け入れて全面降伏した。
このときモンゴルに入朝した太子はフビライにひれ伏して強固な関係を築き、その後すぐに即位して元宗となったが、高麗王朝の中に江華島を放棄することに反対する勢力があった。元宗はフビライにお願いしてモンゴル軍を朝鮮に引き入れ、これらの反対勢力を掃討した。
1274年、第一回目の元寇「文永の役」で元・高麗連合軍は総勢2万8千人の大軍で日本を侵攻した。対馬・壱岐で非戦闘員の日本人を大虐殺したが、本戦では大敗を喫した。
文永の役のあと、フビライは南宋との戦いで疲弊した人民を休息させるべきという家臣の建言を聞き入れ日本への再侵攻を延期していたが、元宗がフビライの機嫌取りのために日本への侵攻の再開と全面協力を提案し、第二回目の元寇「弘安の役」が行われた。結果はまたしても大敗で、総勢14万人の軍勢のうち11万もが海の藻屑と消えた。
◆第三章は李氏朝鮮末期の日清戦争・日露戦争の時代。要約:朝鮮王朝末期の皇后・閔妃は、自らの保身のために清国、日本、ロシア勢力を次々に自国内に引き入れて大混乱に陥れて近代化を遅らせ、日清・日露戦争の原因を作った。
この時代の朝鮮王朝の王は高宗、皇后は閔妃で、高宗の父の大院君も高宗の幼少期は院政を敷くなどしていたため強い権力を持っていた。
【壬午軍乱(1882年)】朝鮮王朝は大院君政権時代は攘夷政策を取っていたが、閔妃がクーデーターを起こして政権を握ると日本と接近して開国・近代化に舵を切った。しかしこの政策によって不遇の扱いを受けた旧式軍の兵士たちが大院君を担ぎ、閔妃一派の高官の屋敷を襲い、日本公使館を焼き討ちし、日本人も13人殺された。壬午軍乱の反乱軍の最大のターゲットは閔妃だったが、その当人は無事に宮殿から逃げ出して高宗をそそのかし、清国軍を引き入れさせた。清国軍は大院君を排除し、閔妃一派は政権に返り咲いたが、これをきっかけに清国は朝鮮への支配を強めた。これは日本にとって脅威となり、日清の対立が深まった。
【甲申政変(1884年)】清国をバックに再び権力を握った閔妃一派に対抗する勢力に金玉均という若手官僚がいた。金玉均は日本に留学し福沢諭吉とも交流した経験があり、日本のやり方に倣って朝鮮の近代化を果たそうと考えていた。壬午軍乱のあと、清国は朝鮮に大軍を駐屯させていたが、日本はこれに対して邦人保護の名目で漢城に100〜200人の日本軍が駐屯していたが、彼らはこれらの日本軍と協力してクーデターを起こした。このクーデーターは一応は成功したものの、閔妃勢力はすぐさま清国軍に出動を依頼、袁世凱を指揮官とする1500名の清国軍と朝鮮王朝の政府軍とで日本軍を攻撃し、クーデーターを鎮圧した。金玉均たちの政変はわずか3日の天下に終わった。
【日清戦争(1894年)】1894年、朝鮮国内で農民を中心に勢力を拡大していた反政府勢力が大きな反乱を起こした(東学党の乱)。すると朝鮮政府は清国にこの反乱の鎮圧のために出兵を要請、清国はこれに応じて約3,000人の軍隊を送り込んだ。これに対して日本は邦人保護の名目で約6,500人の軍隊を派兵した。これに驚いた朝鮮政府は清国と日本に撤兵を要請した。清国はこれに応じたが日本はこれに応じず、政権から親清国の閔妃一派を一掃し謹慎中だった大院君を擁立した。そして日清両国の海軍が交戦し日清戦争が始まった。日清戦争の結果、朝鮮は清国から独立、清国は賠償金の支払いと遼東半島・台湾を日本に割譲した。
【閔妃暗殺事件(1895年)】日清戦争の後、満州を狙うロシアが「三国干渉」で圧力を掛けてきたため、日本はやむなく遼東半島を手放した。日本が指導する朝鮮の近代化政策に反対していた国王の高宗と閔妃はロシアをバックにしてふたたび政権を牛耳るようになった。こういう背景で起きたのが「閔妃暗殺事件」。日本公使の三浦が指導者となり、日本の浪人を主力とする犯行グループが「親露派の親玉」である閔妃を惨殺した。しかし暗殺事件は公に知られてしまったため、結果としては朝鮮王朝の中の親露派を勢いづかせることになった。
【露館播遷事件(1896年)】1896年、国王の高宗は漢城のロシア大使館に移り、そこから政務を執るようになった。これによりロシアの朝鮮に対する影響力は以前の清国以上の絶大なものとなっていった。1897年に高宗は「大韓帝国」を名乗り「皇帝」の座についたが、実質はロシアの傀儡政権である。
【日露戦争(1904年)】朝鮮半島に深く浸透するロシアの南下政策が日本の国防にとって脅威となったため、日清戦争のときと同様、日本は日露戦争を戦った。
【日韓併合(1910年)】日清戦争を戦って清国を追い出したのに、気がつけばロシアによる朝鮮支配を許してしまった。この教訓から日本は韓国併合へと突き進んだ。韓国内にもそれを後押しする動きがあった。「一新会」は日本と連携して朝鮮民族の生存と自立を守っていくことを掲げた民間団体で、自称ではあるが100万人の会員を持ち、間違いなく最大規模の民間団体であった。「日帝」に無理やり併合されたというのが韓国人の歴史観だが、ここからもそれが嘘であるとわかる。
◆第四章は朝鮮戦争の時代。要約:金日成と李承晩の「南北統一」の野心のせいで600万人が戦死した。
【朝鮮戦争(1950〜53年)】南北統一の野心を持っていた金日成が毛沢東に協力を要請したところ、「韓国が北緯38度線をえて侵攻してきた場合は派兵する」と事実上断られたのにも関わらず、協力を約束されたと偽ってスターリンの承認を得ると韓国への侵攻を開始した。韓国は半島の南端の釜山まで追い詰められるも国連軍と米国軍が味方として参戦したことで戦争が始まってから3ヶ月で元の38度線まで戦線を押し返した。ここで戦争を終わらせることが国連軍最高司令官マッカーサーの意向だったが、金日成と同じく南北統一の野心を持つ韓国大統領の李承晩は韓国軍に38度線を超えて北上することを指示し、「拡大版」の朝鮮戦争が始まった。その結果、中国の参戦を招き、被害が拡大した。朝鮮戦争の死者600万人のうちの大半はこの「拡大版」の朝鮮戦争で戦死した。
朝鮮人の国民性をよく表す4つの時代だけに焦点を当てることで、朝鮮半島の歴史をよりクリアに理解する事ができた。
石平氏が指摘する通り、朝鮮半島の歴史は「事大主義」周辺の大国に追従することだけを見事なまでに繰り返している。しかも権力者は自国民の幸福よりも自身の権勢欲を優先し、そのためなら外国の勢力を国内に引き入れることに躊躇がない。結果、いつまでも民族の独立が果たせない。
そんな惨めな歴史しか持たない朝鮮人を哀れに思うが、同情心につけ込まれて朝鮮の言う「日帝侵略」などというプロパガンダに踊らされないようにしなければならない。白人が北東アジアの侵略を本格的に始めようとしていた時代である。日本は自国の防衛のために朝鮮にしっかり自立してもらわねばならなかった。ところが朝鮮は自分の国のことを自分でできないだけでなく自分たちの政権争いや内紛のために清国、日本、ロシアを代わる代わる引き込んでトラブルを発生させた。自業自得ではないのか。朝鮮を「侵略」した日本が一方的に悪く、自分たちは被害者であるというのが韓国の歴史観だが、あの時代に日本に統治される以上の良策が朝鮮にあったとは思えない。自分たちで国を治めることができなかったのだから、日本以外となると清国かロシアのどちらかに支配してもらうというのか?いや、その2国と比べたら明らかに日本が圧倒的に良心的だろう笑。
朝鮮の歴史と比較して、日本で内紛があったときに外国勢力を引き入れようなどということにならなかったのはなぜだろうか。理由のひとつはもちろん海で外国と隔てられているからだと思うが、もうひとつ、共通の「神」天皇の存在も大きいと思う。幕末以降、欧米列強が海を超えて押し寄せてきたときに朝鮮のように次々に外国勢力を国内に引き入れて自滅することがなかったのは天皇が存在していたために日本人が強い民族意識で団結していたお陰だ。
朝鮮の歴史で気の毒に思うのは、民族の誇りを守ろうとする為政者は、外国の勢力を引き入れるなどの卑怯な手段を使う為政者に結果的に滅ぼされてしまうこと。高句麗は唐の力を利用した新羅に滅ぼされたし、高麗王朝のときは江華島で元に徹底抗戦していた勢力は、元の軍勢を引き入れた別の勢力によって駆逐された。地政学的な悪さが原因で、歴史が悪い方へ常に引っ張られる。これは本当に気の毒だ。