※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。
作品名:ベン・ハー (映画 1959)
評価:★4(★★★★☆)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWHV98
2025年4月、「午前十時の映画祭」企画で劇場で鑑賞した。面白かった。
とても長い映画で、上映時間はなんと212分(3時間32分)(冒頭6分映像なしの序曲、途中4分くらいのインターミッション込み)。配信もされているが、手元にスマホがある状態でこれだけ長い映画を集中して観ることは難しいので劇場で鑑賞できてよかった。
ストーリーはシンプルで分かりやすい。それゆえ、3時間半もの長尺にする必要があったのかは現代の感覚で言えばちょっと疑問に思う。状況をしっかりと噛み締めながらゆっくりと進行していく感じで、演劇を観る感覚にも似ている。
歴史の勉強にもなった。副題が「イエス・キリストの物語」となっている通り、イエス様の誕生から映画が始まり、磔形で処刑とそこからの復活で映画が終わるので、時代は西暦0年から30年頃。この時代はローマ帝国がエルサレムを統治しており、ユダヤ人はローマ人によって支配されている。主人公のベンハーは支配されている側のユダヤ人の貴族、ライバルのメッサラはローマ帝国の司令官という職位の偉い人。ちなみに司令官の上に総督という職位があり、これがいわゆる県知事みたいなものだと理解した。
この時代のローマには奴隷制度がある。本作のヒロインはベンハー家に仕える奴隷の娘という設定で、嫁入りすることが決まったときに主人(実際に「マスター」と呼ばれている)のベンハーがお祝いとして奴隷身分から解放して「自由人」身分を与えるというくだりがある。中盤でベンハーが「無実の罪」でガレー船の漕ぎ手にされてしまうが、その時暗い船の下層で一緒に船を漕いでいた人たちもたぶん奴隷。
主人公のベンハーの物語は前半から中盤はほとんどイエス様と交わらないが、終盤でベンハーがローマ帝国への怒りからダークサイドに堕ちそうになったところで、イエス様の”赦し”の教えに感化されて心の平安を得るというストーリーになっており、終盤はとても宗教映画色が強い。なお、重いらい病(字幕では”業病”)に罹っていたベンハーの母と妹もイエス様の奇蹟の力で病気が完治する。
この映画の一番のみどころは二輪馬車(チャリオット)のレースでベンハーとメッサラが争うシーンだが、これは正直言って想像を遥かに超えてきた。当然ながらCGなどない時代だから、全てロケによる撮影なわけで、あの大きな競技場は実在するセットだろうし、馬車から人が落車したり馬車が大破するシーンも実物で撮影しているはずなのだ。そういう気持ちで見ているから、映画とはいえ実際の映像である意味ドキュメンタリーでもあるわけで、自然と目が釘付けになってしまう。「スタントマン無事か!?」とか「お馬さん怪我してないか!?」とか。実際すごく心配だが、まあとにかくそんな感じでスリルがあって面白かった。
ストーリーも重みがあって面白かった。序盤でメッサラがベンハーに「ユダヤ人の中の反乱分子が誰なのか教えろ、もちろんお前とお前の家族は保護する」と持ちかけるが、ベンハーは同胞を売らない。これは自分や自分の家族だけの話ではなくて、民族全体の話なのだ(映画終盤はキリスト教の話になってしまって、ユダヤの民族主義の話はどこに行ってしまったんだとう感じではあるが)。リベラル思想に染まりきった近年の映画にはこういう視点はない。
そんな感じで、古い映画の良さが詰まった映画だった。