※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。
作品名:国宝 (映画 2025)
評価:★4(★★★★☆)
リンク:https://kokuhou-movie.com
2025年7月、大ヒット中の映画「国宝」を見た。行きつけのシネコンでは一番大きなスクリーンをこの映画に割り当てており、平日の午前中の時間帯だったにも関わらず、その大スクリーンがほぼ満員(おそらく90%以上)になっていたので驚いた。
私の評価は、「面白かった」。
画も高級だし、説明的なセリフとか過剰演技とかもなく、そういった点でもいい映画だと思った。
喜久雄は歌舞伎の芸を誰にも負けないレベルにまで磨き上げ、あとは「血」だけが足りない。一方で「血」を持っている俊介は自分の意思とは無関係に歌舞伎をやることを宿命づけられている。
お互いに、自分が持っていないものを相手が持っているという状態。
喜久雄は芸に取り憑かれ、俊介は血に呪われているともいえる。
歌舞伎の芸を世襲するのは是か非か。たとえばプロ野球なら世襲なんて想像もできないし、芸術分野でも映画監督や漫画家も世襲ができない。完全な自由競争だ。
その理屈で言ったら、歌舞伎も全部オーディションと自由競争でやった方が良いような気もするが、必ずしもそうとも言い切れないような…。規模の問題なのだろうか。歌舞伎という小さい市場を守っていくには、家業として責任持って守ってもらう方が理に適っているような気もする。
この映画が扱っている問題は、要は「家を守るために、個人の思いを抑圧する」ということ。
なぜ人がこういう悲劇に感動するのかというと、「家を守る」ということに一遍の真理があることをみんなが感じているからだ。
夫婦別姓問題もこれと同じ。「結婚して姓を変えたら不便だから変えたくない」、これは美しくない。「不便にはなるけど、子供のため自分が姓を変えて家族がひとつの姓になる」、これは美しい。
社会の中で生きるってことは、必ずどこかで個人の自由が制約を受ける場面があるってこと。
個人の自由が制約を受けるのは悲劇だ。しかし、だからと言って際限なく個人の自由を追求すると社会が壊れてしまう。だから我々は、そういう犠牲に対するせめてもの手向けとして、こういった物語を作り、その物語に感動する気持ちをもってそれを「供養」するのかもしれない。
【概要 (映画.comより)】
李相日監督が「悪人」「怒り」に続いて吉田修一の小説を映画化。任侠の家に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げた男の激動の人生を描いた人間ドラマ。
任侠の一門に生まれた喜久雄は15歳の時に抗争で父を亡くし、天涯孤独となってしまう。喜久雄の天性の才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は彼を引き取り、喜久雄は思いがけず歌舞伎の世界へ飛び込むことに。喜久雄は半二郎の跡取り息子・俊介と兄弟のように育てられ、親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていく。そんなある日、事故で入院した半二郎が自身の代役に俊介ではなく喜久雄を指名したことから、2人の運命は大きく揺るがされる。
主人公・喜久雄を吉沢亮、喜久雄の生涯のライバルとなる俊介を横浜流星、喜久雄を引き取る歌舞伎役者・半二郎を渡辺謙、半二郎の妻・幸子を寺島しのぶ、喜久雄の恋人・春江を高畑充希が演じた。