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空気を読まないサラリーマンをやってます。1980生まれ男です。既婚。2011年生まれ息子、2013年生まれ娘あり。

★4(★★★★☆) アンパンマンの遺書/やなせたかし(自伝 1995) レビュー

※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。

作品名:アンパンマンの遺書/やなせたかし(自伝 1995)
評価:★4(★★★★☆)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4006022336

やなせたかしが1995年に書いた自伝本。「遺書」とあるが、やなせさんは2013年(94歳)まで長生きしたので、結果的に遺書と呼ぶにはちょっと早すぎる作品となった。本作では、妻ののぶさんが1993年に亡くなり、新宿にアンパンマンショップを開店し、高知県の故郷に「アンパンマン美術館」を準備中、というところまでが書かれている。

2013年にやなせさんが亡くなってから本作が文庫化されて出版されているが、私は単行本の方を読んだ。

2025年のNHK朝ドラ「あんぱん」の放送が始まった時に図書館で予約したのが、順番が回ってくるまでに5ヶ月くらいかかったので、私の手元にこの本が来た時にはすでにNHK朝ドラの方は見るのをやめてしまっていた。

NHK朝ドラ「あんぱん」を見るのをやめた理由は、人間の心理や感情に対する考察が浅すぎて陳腐でつまらなかったのと、安直に戦前の日本を「日本軍国主義」とレッテル貼りをして貶めていることが許せなくなったから。「あんぱん」では日本軍が中国の民衆に対して乱暴を働いたり、食べ物を略奪したりといった場面がたくさん描かれたが、少なくともこの自伝の中では、そのようなことは書かれていない。

たとえばやなせさんが最初に派遣された福州での描写は以下の通り。

「どこか解らないところに上陸したが、敵の抵抗というのはまったくなくて、少しあっけなかった。
上陸したのは台湾の対岸の福州だった。つまり日本軍総司令部は、アメリカ軍は台湾を攻めると考えて、そのためにはまず中国の対岸に基地をつくり、そこから対岸の台湾を攻撃すると考えたのだろう。しかし、アメリカは台湾をとばして沖縄を直接攻撃したので、ぼくらの部隊は空振りであった。」

「ぼくは暗号班なので、無線の兵隊数人と部隊から離れた芋畑の中に陣地を設営した。本部から離れているし、教練もないし、戦争もない。仕事は防空用の穴掘りぐらいで、そのうちにすっかり穴掘りの技術もうまくなった。」

「たまには宣撫班みたいに紙芝居をつくって村をまわった。現地語の通訳を連れていくのだが、ものすごく受けて大笑いである。娯楽のないところだから、そのせいもあるが、どうもそれだけではない。通訳の中国語にはどうもぼくの言ったことではない、日本軍の悪口みたいなのも入っていたようだが、まったく解らないからしょうがない。もしそうでなければ、あんなにメチャうけするはずがない。少しもおかしくないところなのに、大人も子供も、ひっくりかえって大笑いしているのだから、多分ぼくはこの通訳にコケにされていたのだろう。」

福州の次に派遣された上海近郊の農村、四渓鎮での描写は次の通り。

「四渓鎮はリトル上海と呼ばれてはいるが、上海とは比較にならない農村地帯で、水路が縦横に通じている。市場では水産物や農産物が取引されていて、それはすべて海で運ばれる。住民の感情は温和で、日本軍に対して好意的だった。というのが、このあたりは野盗が多く、物騒だったから、ぼくらがいた方が治安のためによかったのだ。」

「大砲はすべて海路輸送したので、ぼくらは大砲のない野戦重砲隊だから翼のない鳥のようなもので何もすることがない。」

「上海決戦だというので、食料を極端にきりつめることになった。毎食、うすいオカユだけである。これにはすっかりまいってしまった。戦う前に戦意がなくなったが、要領のいい兵隊はその辺の農夫から買って喰べていた。或る朝のこと、全員集合の命令があり、敗戦の詔勅というのを感度の悪いラジオで聞かされたが、ぼくには何のことやらさっぱり解らなかった。『日本は敗けた』と大隊長は言った。」

上海でも四渓鎮でも、やなせさんは幸運にも戦闘に巻き込まれていない。(正確には、福州から四渓鎮への行軍中に敵から攻撃され、日本兵が亡くなる場面を目撃したことは書かれているが、そのときも日本軍は反撃せずに行軍を続けたようだ。)

福州での紙芝居の描写は、中国人にコケにされたにも怒らず乱暴せず穏健そのものだし、四渓鎮で食料を切り詰めたときも現地の人から略奪などせずに「買った」と書いている。ドラマの「乱暴な日本兵」のイメージとは真逆だ。

このドラマの脚本を書いたのは中園ミホ。つまらない脚本を書いたことは許すが、やなせさん自身の自伝に書かれたことを無視し、ろくに調べもせずにどこかで見聞きしたようなステレオタイプな「日本軍国主義」のイメージをそのまま脚本に採用し、安直に戦前の日本を貶めたことは許さない。フィクションであればどう書いても表現の自由だが、史実を題材にするのだからきちんと調べて事実に基づいて書かなければならないだろう。私は中園ミホを許さない。

戦後のやなせさんは、50代になってやっと「アンパンマン」が売れ始めるまで自身を代表するようなヒット作に恵まれず、それでもいろいろな仕事をする機会には恵まれたことが本作に書かれている。さまざまな著名人の名前が次々に出てくるが、私とは世代が違いすぎてほとんどわからなかった。

アンパンマンが生まれた経緯については、以下のように語られている。

軍国主義から民主主義へ。正義はある日突然逆転する。正義は信じがたい。これがぼくの思想の基本になる。逆転しない正義とは献身と愛だ。それも決して大げさなことではなく、眼の前で餓死しそうな人がいるとすれば、その人に一片のパンを与えること。これがアンパンマンの原点」

私はアンパンマンという作品が幼児向けに普及していることは日本にとってとても素晴らしいことだと思っているが、この自伝を読んで、やなせさんの思想には物足りないものを感じた。1919年に生まれ、大東亜戦争にも一応参加し、94歳まで生きたのだから、なぜ日本があの戦争を戦うことになったのかを「軍国主義」の一言で片付けるのではなく、ちゃんと考える機会はあったのではないだろうか。

戦後の平和をまるで当たり前のことのように享受しながら、当時の日本を必死で守った戦前の日本を安全地帯から批判する思想はどうも薄っぺらい。芸術家とはそんなものだと言えば、そうなのかも知れないが。