週休3日サラリーマンのブログ

空気を読まないサラリーマンをやってます。1980生まれ男です。既婚。2011年生まれ息子、2013年生まれ娘あり。

MacでEmacsキーバインドを使うには、自分専用の設定ファイル作成が必須だ(Karabiner-Elements)

controlキーとアルファベットキーの組み合わせでカーソルを上下左右・文頭・文末に移動したり、PageDown、Delete、Backspace、等々…かなり多様な操作を可能にする、いわゆる「Emacsキーバインド」。これを使いこなすとホームポジションから手を離さずにできる操作がかなり増えるため、非常に便利だ。

おそらくMacユーザーの10人に1人も使っていないと思われるこのマニアックなEmacsキーバインドを、Macはかたくなに標準サポートし続けている。
Emacsキーバインド愛好者にとってはありがたいことと思いきや、しかし、これが実はあまり使い物にならない。なぜかというと、アプリによってサポートしていなかったり、またはサポートしていてもアプリによって挙動が微妙に異なるからだ。
Emacsキーバインドを活用して、標準アプリのメモ帳で上下左右のカーソル移動、文頭・文末移動、Delete、Backspaceを存分に使ってテキスト編集をした直後、Googleスプレッドシードのアプリに切り替えたらこれらの操作の一部しか使えなかったりする。すると、便利さが半減どころか、十分の一くらいになってしまうのだ。

自分が利用するアプリ全てにおいて、完全に自分が所望する挙動をするように設定したい。
そのために「Karabiner-Elements」というキーバインド設定アプリを使う。世界中に多数の愛用者がいる有名アプリで、無料だ。

「Karabiner-Elements」の設定を行う。

まず、これは英語キーボードの場合のみに必要となる設定だが、"A"の左隣に位置するCapslockキーをcontrolキーとして扱う。日本語キーボードの場合は元々"A"の左隣にcontrolキーが位置しているので何もする必要はない。

・Karabiner-Elements > Simple modifications > (From key: caps_lock, To key: left_control)

次に、Karabiner-Elements公式サイトに公開されている、標準的なEmacsキーバインド設定をダウンロードして使用してみる。

(1) Karabiner-Elements > Complex modifications > [Add rule] ボタン押下
(2) [Import more rules from the Internet] ボタン押下
(3) Emulation Modes > Emacs key bindings (rev 12) を[Import]
(4) Karabiner-Elements > Complex modifications > Emacs key bindings (rev 12) > Emacs key bindings [control+keys] を[Enable]


しかし使ってみると分かるのだが、これが全然ダメなのだ。いや、この設定ファイルの作者にとっては自分の要望を完璧に満たすものなのだ、たぶん。しかし、私は彼が使わないアプリを使うこともあるし、【control + T】にタブ移動操作を割り当てたり【control + R】にPageUpを割り当てるのはEmacsの標準的なキーバインドではなくて、私の好む独自アレンジだから、そのような設定が彼の設定ファイルに含まれている事は望めない。

だから、MacEmacsキーバインドを使うには、自分専用の設定ファイル作成が必須なのだ。
完全に自分好みの設定だけをひとつひとつ加えていき、自分にとって完璧なKarabiner-Elementsの設定ファイルを作成する。

設定ファイルの書き方は、先ほどダウンロードした「Emacs key bindings (rev 12)」が参考になる。この設定ファイルはインターネットからインポートした際に「~/.config/karabiner/assets/complex_modifications/1619530943.json」に格納されている。自分の設定ファイルも同じパスにJSONファイルとして格納しておくとKarabiner-Elementsに認識され、設定から「Enable」することができる。
設定ファイルひとつの中に、いくつかの設定単位を設けてそれぞれにオン・オフすることができるが、私は設定ファイルひとつに対してひとつの設定単位しか設けず、さらにその設定単位にもあまり多くの設定を詰め込まないようにした。
理由は、JSONファイルを手動でガシガシ編集する際にカンマの有無などの構文エラーを埋め込みやすく、構文エラーがあるとKarabiner-Elementsは当該設定ファイルを丸ごと無視するからだ。設定ファイルひとつ当たりの文字数が少なければ構文エラー箇所を見つけやすいのでデバッグに向く。

とりあえず自分用Emacsキーバインド設定ファイルとして、以下の4ファイルを作成した。

(1) My_Emacs1.json (カーソル移動)
(2) My_Emacs2.json (PageUp・PageDown・文頭移動(Home)・文末移動(End))
(3) My_Emacs3.json (タブ移動・タブ閉じる)
(4) My_Emacs4.json (Delete・Backspace)

コンセプトと設定内容概略は次の通り。

(1) My_Emacs1.json (カーソル移動):

これはEmacsキーバインドの最も有名で重要な「カーソル移動」の設定。設定的には単純で、当該キーの組み合わせが押された場合、上下左右カーソルのキーコードを発生させる。
・【command + P】:[上カーソル]
・【command + N】:[下カーソル]
・【command + B】:[左カーソル]
・【command + F】:[右カーソル]

{
  "title": "My Emacs1",
  "maintainers": [
    "xxx"
  ],
  "rules": [
    {
      "description": "(My_Emacs1) カーソル移動",
      "manipulators": [
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Pで上カーソル",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "p",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift", "option" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "up_arrow" }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Nで下カーソル",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "n",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift", "option" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "down_arrow" }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Bで左カーソル",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "b",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift", "option" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "left_arrow" }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Fで右カーソル",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "f",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift", "option" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "right_arrow" }
          ]
        }
        
        
      ]
    }
  ]
}

(2) My_Emacs2.json (PageUp・PageDown・文頭移動(Home)・文末移動(End)):

「PageUp・PageDown・文頭移動(Home)・文末移動(End)」操作をこの設定ファイルで規定した。
キー割り当ては"A"に文頭移動(Home)、"E"に文末移動(End)、"V"に[PageDown]とするのはEmacsキーバインドで鉄則だが、PageUpにどのキーを割り当てるのかは私が知る限りではあまり統一されていない。キーボード上で"V"との位置関係と"Reverse"のイメージで"R"に[PageUp]を割り当てるのが私のやり方。
発生させるキーコードは少し工夫が必要。[PageUp]、[PageDown]はそのままでよいが、文頭移動、文末移動と[Home]、[End]キーコードは対応しない場合がある。例えば、私はEvernoteGoogle Chromeでアプリ化して使っているのだが、この編集画面で[Home]、[End]キーコードを送ると文書の先頭や末尾に移動してしまうため、このアプリに限っては文頭・文末移動を実現するには[command + 左カーソル]、[command + 右カーソル]キーコードを送る必要がある。その他のアプリもいちいちアプリ名指定で[Home]、[End]キーコードを送るようにする。

・【command + R】:[PageUp]
・【command + V】:[PageDown]
・【command + A】:文頭移動 ([Home]または[command + 左カーソル])
・【command + E】:文末移動 ([End]または[command + 右カーソル])

{
  "title": "My Emacs2",
  "maintainers": [
    "xxx"
  ],
  "rules": [
    {
      "description": "(My_Emacs2) PageUp・PageDown・文頭移動(Home)・文末移動(End)",
      "manipulators": [
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+VでPageDown",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "v",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "page_down" }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+RでPageUp",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "r",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "page_up" }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+AでHome",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "a",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "home" }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "file_paths": [
                "スプレッドシート\\.app"
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Aでcommand+←",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "a",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            {
              "key_code": "left_arrow",
              "modifiers": [ "left_command" ]
            }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "file_paths": [
                "Evernote\\.app"
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+EでEnd",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "e",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "end" }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "file_paths": [
                "スプレッドシート\\.app"
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Eでcommand+→",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "e",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            {
              "key_code": "right_arrow",
              "modifiers": [ "left_command" ]
            }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "file_paths": [
                "Evernote\\.app"
              ]
            }
          ]
        }
        
      ]
    }
  ]
}

(3) My_Emacs3.json (タブ移動・タブ閉じる):

「タブ移動・タブ閉じる」操作をこの設定ファイルで規定した。
キー割り当ては"T"にタブ移動、"W"にタブ閉じる、を割り当てた。
発生させるキーコードはアプリによって異なるので自分が使う全アプリについて調べて設定する。

・【command + T】タブ移動 # shift同時押しで逆方向移動
・【command + W】タブ閉じる

{
  "title": "My Emacs3",
  "maintainers": [
    "xxx"
  ],
  "rules": [
    {
      "description": "(My_Emacs3) タブ移動・タブ閉じる",

      "manipulators": [
 
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Tでタブ移動(control+Tab)",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "t",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            {
              "key_code": "tab",
              "modifiers": [ "control" ]
            }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "bundle_identifiers": [
                "^com\\.apple\\.Safari$",
                "^com\\.google\\.Chrome$",
                "^com\\.microsoft\\.VSCode$"
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Tでタブ順方向移動(option+下カーソル)",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "t",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock" ]
            }
          },
          "to": [
            {
              "key_code": "down_arrow",
              "modifiers": [ "option" ]
            }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "file_paths": [
                "スプレッドシート\\.app"
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+shift+Tでタブ逆方向移動(option+上カーソル)",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "t",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control", "shift" ],
              "optional": [ "caps_lock" ]
            }
          },
          "to": [
            {
              "key_code": "up_arrow",
              "modifiers": [ "option" ]
            }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "file_paths": [
                "スプレッドシート\\.app"
              ]
            }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+Wでタブ閉じる(command+W)",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "w",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "shift" ]
            }
          },
          "to": [
            {
              "key_code": "w",
              "modifiers": [ "command" ]
            }
          ],
          "conditions": [
            {
              "type": "frontmost_application_if",
              "bundle_identifiers": [
                "^com\\.apple\\.Safari$"
              ]
            }
          ]
        }
        
      ]
    }
  ]
}

(4) My_Emacs4.json (Delete・Backspace):

「Delete・Backspace」操作をこの設定ファイルで規定した。
キー割り当てはEmacsの定石通り、"D"に[Delete]、"H"に[Backspace]を設定した。
アプリによって発生させるキーコードを変える必要もない。

・【command + D】Delete
・【command + H】Backspace

{
  "title": "My Emacs4",
  "maintainers": [
    "xxx"
  ],
  "rules": [
    {
      "description": "(My_Emacs4) Delete・Backspace",
      "manipulators": [
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+DでDelete",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "d",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "option" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "delete_forward" }
          ]
        },
        {
          "description": "ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー",
          "description": "control+HでBackspace",
          "type": "basic",
          "from": {
            "key_code": "h",
            "modifiers": {
              "mandatory": [ "control" ],
              "optional": [ "caps_lock", "option" ]
            }
          },
          "to": [
            { "key_code": "delete_or_backspace" }
          ]
        }
        
      ]
    }
  ]
}

以上で設定ファイルの最初期バージョンが完成。
Karabiner-Elementsの設定から「Enable」し、とりあえず1週間くらい使用して想定通りに動作することが確認できた。

今回作成した設定ファイルは、まだ必要最低限の設定しか作り込んでいない状態だ。使用頻度の低いアプリについては動作確認していないし、「kill・yank」「Undo・Redo」などはまだ設定していない。
しかしこれから作り込んでいくベースとなる設定ファイルが出来たことがきわめて大きい。これからは、Macを使っている時に想定通りEmacsキーバインドが働かなかったり、「kill・yank」「Undo・Redo」を設定して使いたいな、と思い立ったときに3分くらいで設定ファイルを編集したり追記したりできる。
この「改善スパイラル」に入るともう勝ったも同然だ。たぶん半年後には、私は魔法使いのようにMacを使いこなせるようになっている筈だ。

映画ドラえもん「宇宙小戦争」新旧比べたら、やっぱり旧ドラ版がダンチだった話

2022年の映画ドラえもん最新作「宇宙小戦争2021」が早くもAmazonプライムビデオで見放題になっていたので観てみた。それなりに良い出来だった。
直後に1985年公開・旧ドラ版の「宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」を観てみた。直接比べると、やっぱり旧ドラ版がダンチ(段違いに凄い)だった。
この記事ではそういう話をする。

私は別の記事で「映画ドラえもん 全41作レビュー」というのをやったのだが、次の7作品を上位に選んだ。
(1)「のび太の宇宙小戦争」第6作・1985年
(2)「のび太と鉄人兵団」第7作・1985年
(3)「のび太のパラレル西遊記」第9作・1988年
(4)「のび太の魔界大冒険」第5作・1984
(5)「のび太の大魔境」第3作・1982年
(6)「のび太の月面探査記」第39作・2019年
(7)「のび太のひみつ道具博物館」第33作・2013年

これに、「過去名作をリメイクした良作」枠として次の2作品を加える。
(8)「新・のび太の大魔境」第34作・2014年
(9)「のび太の宇宙小戦争2021」第41作・2022年

映画ドラえもん業界では、作風を一新した2005年を境に旧ドラ、新ドラという分類があり、(1)〜(5)は旧ドラ、(6)〜(9)は新ドラだ。
「旧ドラ、新ドラどちらが良いか」という論争があるが、旧ドラは全25作品、新ドラは16作品(2022年時点)とそれぞれに作品数が多く、二区分で語るのは難しい。そして歴史の長いキッズ向け映画の宿命か、正直言って映画ドラえもんの大半は語るに値しない駄作である。

そこであえてこれら9つの名作・良作に絞って比較してみる。

ここでカギになってくるのが、新ドラでリメイクされている「大魔境」と「宇宙小戦争」だ。
新ドラ版の「大魔境」と「宇宙小戦争」、観てみるとどちらもそれなりに良い出来だ。しかし、直後に旧ドラ版の「大魔境」と「宇宙小戦争」を観ると、ダンチなのだ。

大きな差を感じる部分がふたつある。
ひとつは、敵役の怖さや危険な冒険の雰囲気が旧ドラ版の方が圧倒的に高いこと。新ドラ版は、なんて言うか…「子供のみんなも安心して楽しめる、怖くない、ハッピーエンドが約束されたお話だよ!」っていうスタンスが最初から最後まで貫かれていてムードがないのだ。対象年齢がアンパンマンに近づいている感じ。
ふたつ目は、劇中に差し込まれるギャグの数も質も、旧ドラ版の方が圧倒的に上回っていること。新ドラ版は、なんて言うか…「ちょっとそこの男子!冒険の間にふざけてちゃダメでしょ!」って言う学級委員タイプの価値観で作られている感じ。
具体的なキャラ名で言えば、「大魔境」のペコと「宇宙小戦争」のピシア・ドラコルル長官。旧ドラ版ではどちらの言動もシリアスであると同時に、いい具合にギャグが入ってる。
どちらの要素も、新ドラ版の映画からはきれいさっぱり失われてしまった。そしてそれはこの2作品に限らず新ドラ映画全てに当てはまる。
私は映画ドラえもんの真骨頂は「ギャグとシリアスの同居」だと考える。上に挙げた(1)〜(5)の作品はそれがかなり高いレベルで実現されていて、親子で鑑賞したとき、それぞれに違うレベルの受け取り方で楽しめる。キッズ向け映画かくあるべし。

逆に新ドラの良さはなにか。
それは背景やキャラデザの綺麗さ。音楽も現代風に洗練されていること。中身の話じゃなくてそこ?という感じもするがこれが子供にとってはかなり重要なのだ。実際、うちの小学生の娘に好きな作品を聞いてみると、新ドラの「新・鉄人兵団」「人魚大海戦」といったとにかくかわいいキャラが出てくる作品ばかりを挙げてくる。
偏見かもしれないが、小学生女子って美男美女のキャラを出してクライマックスでムードのある劇伴音楽を流せば、中身がめちゃくちゃでも感動してボロボロ泣いてくれる。「宝島」とか「新魔界大冒険」とか。
いけない、新ドラの良いところを挙げるつもりがいつの間にかディスりになってしまった。

「映画ドラえもん 全41作レビュー」の記事は全作品について細々とレビューして4万7000文字もの駄文を書いてしまったので、この記事は短く締めたい。

現在、Amazonプライムビデオでは2022年の最新作「宇宙小戦争2021」も含めて映画ドラえもんシリーズが全て見放題になっている。しかも旧ドラの映画はアスペクト比をワイドに修正して画質も大幅に改善したリマスター版だ。
無料で観られる今のうちに観ておくことをお勧めする。
私がお勧めするのは最初にも挙げた次の7作品だ。
大人になって全41作品を一気観してガチレビューした私が面白さを保証する。

(1)「のび太の宇宙小戦争」第6作・1985年
(2)「のび太と鉄人兵団」第7作・1985年
(3)「のび太のパラレル西遊記」第9作・1988年
(4)「のび太の魔界大冒険」第5作・1984
(5)「のび太の大魔境」第3作・1982年
(6)「のび太の月面探査記」第39作・2019年
(7)「のび太のひみつ道具博物館」第33作・2013年

映画ドラえもん 全41作レビュー

映画ドラえもん 全41作(1980年〜2022年)を観て全作品のレビューを書きました。今、Amazonプライムビデオで2022年の最新作「宇宙小戦争2021」も含めて見放題になっており、気になる作品をまとめて観るチャンスです。このレビューが、その際の作品選びの一助になれば幸いです。
本記事は、2020年に書いた40作品のレビューに2022年の映画ドラえもん「宇宙小戦争2021」を追加して41作品のレビューとしたものです。
まずは結論から書きます。★1〜★5で評価した結果はこうなりました。

評価 作品名
★5 宇宙小戦争、鉄人兵団、パラレル西遊記、魔界大冒険、大魔境、月面探査記、ひみつ道具博物館
★4.5 宇宙開拓史、恐竜、宇宙小戦争2021
★4 竜の騎士、ドラビアンナイト太陽王伝説、海底鬼岩城、新・大魔境
★3.5 新・日本誕生、日本誕生、アニマル惑星、ふしぎ風使い、無幻三剣士、翼の勇者たち、ロボット王国、ねじ巻き都市冒険記、新・鉄人兵団、新魔界大冒険、新・宇宙開拓史、宇宙英雄記
★3 南海大冒険、宇宙漂流記、ブリキの迷宮、南極カチコチ大冒険、銀河超特急
★2.5 ワンニャン時空伝、創世日記、雲の王国
★2 人魚大海戦、奇跡の島、宝島、新恐竜
★1.5 のび太の恐竜2006
★1 のび太と緑の巨人伝

作品ごとのレビュー (高評価順)

第1位 (★5)「のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)」:子供の頃も今も、一番好きなドラえもん映画!

本作品は1985年公開、映画ドラえもんの6作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

自分達の作ったプラモデルに、スモールライトで身体を小さくして乗り込み、小人の世界の戦争に勇者として参戦する。…もうこの時点で超絶ワクワクしますが、実際に期待を裏切らずメチャクチャ面白いです。私は子供の頃、この映画に心を鷲掴みにされ、こういう設定の妄想をどれだけしたか分からない位、大大大好きでした。スネ夫の作った戦車のプラモに乗り込み、隊列を組んで「かべ紙 秘密基地」から出撃する時の誇らしさ、高揚感!

人間の世界とは別の世界に行き、その世界の危機を救う英雄になる。映画ドラえもんの大半がこのフォーマットの物語ですが、この作品の英雄度は群を抜いています。
共闘することになったピリカの自由同盟の仲間達・ゲンブさん・大統領パピが、大変な敬意を持ってのび太達と接しているからです。敵の諜報機関ピシアも強力な敵としてのび太達を警戒しています。子供達にとってこの事がどんなに誇らしいか!例を示すと、
パピ「ありがとう…(涙)。地球の人はなんて親切なんだろう。ピリカ星を代表して深く感謝の意を表します。」
ピシア・ドラコルル長官「うーむ、恐るべき軍備だ!こいつかぁ地球製の武器を一手に作っておるのは。重要人物だ、こいつもマークしろ!」
自由同盟の仲間達「自由同盟本部へようこそ、5人の勇士たち!」
ゲンブさん「あなた方に来て頂いて、我が自由同盟は百万の味方を得た思いです」
自由同盟の仲間達「地球の最新鋭兵器は凄い性能ですなあ」「我々も頑張ろう」
自由同盟の仲間達「ピリカ国民は、あなた方の友情を決して忘れません」

子供達を1人の人間として扱い、十分な敬意を持って接している大人は存外に少ないです。常に「所詮、子供だから」とみくびられ、大人顔負けの立派な意見を言っても「子供だてらに大人みたいな事を言っちゃって(笑)」と言われてしまう。
子供達がこの映画を観れば、普段大人たちに削られた自尊心を取り戻し、勇気を回復することができるでしょう。「良い子でいなさい」というメッセージが込められたPTAが喜びそうな映画よりも、この映画を子供達に観てもらいたいと思います。

それにしてもドラコルル長官の「恐るべき軍備だ!」のセリフは最高ですね笑。シリアスなドラマの中に、コメディっぽいおかしさが同居している。藤子漫画の真骨頂という感じで大好きなシーンです。

この映画はシナリオも物凄く良くできています。序盤で敵のピシアが登場してから終盤までずっと、一進一退の攻防を繰り返して最後は勝利!最高です。シナリオが一本道で分かりやすいのも良いです。

この映画は準主役としてスネ夫に脚光が当たる数少ない作品でもあります。ちなみにこの作品の3作前、2作前はそれぞれジャイアンと静香ちゃんが準主役でした。
3作前(大魔境)→ジャイアンが準主役
2作前(海底鬼岩城)→しずかちゃんが準主役
本作(小宇宙戦争)→スネ夫が準主役

スネ夫「負けるもんか!ピシアがどんなに恐ろしい相手でも…。僕のプラモが相手になるぞ。」
プラモで5台の戦車を作るスネ夫はカッコいいです。

スネ夫「落ち着いて、静香ちゃん。ハンドルは軽く。そうそう…上手い上手い静香ちゃん。ラジコンに触るの本当に初めて?」
教官となって静香ちゃんに戦車の操縦を教えるシーンもいい。

静香「スネ夫さん!来てくれたの!」
スネ夫「仕方ないじゃない…女の子ひとりで危険な目に遭わせられないし…」
静香「大丈夫よ!ラジコンの力をもっと信じなさい!スネ夫さんの作ったラジコンじゃない!」
遅ればせながら(笑)静香ちゃんを助けに来るスネ夫もいい。

その他でこの映画の好きな所。
(1)オープニングにハリウッド映画のオマージュがたくさん使われていて面白いです。ジャイアンがMGMライオンのように吠えるのは笑いました。
(2)うさぎのぬいぐるみが行方不明になり、「大好きなぬいぐるみだったのに…あぁぁ〜ん。」て泣いちゃう静香ちゃん激萌えです。自分の身代わりにパピが囚われてしまった事に責任を感じて泣く静香ちゃん(2回)も可愛い。基地の隅に隠れたスネ夫を置いて出撃し「あたしだって怖いわよ…でも、このまま独裁者に負けちゃうなんて、あんまりみじめじゃない!やるだけの事やるしか無いわ!」目に涙を浮かべながら勇気を振り絞る静香ちゃん、素敵すぎます。
(3)ラストで無事に再会したのび太と静香ちゃんが手を取り合って目に涙を浮かべるシーンは完全に恋人同士ですねw
(4)主題歌は「少年期 / 武田鉄矢」です。映画ドラえもんにたくさんの主題歌を提供した武田鉄也も、藤子・F・不二雄先生も一番好きな曲として挙げている名曲です。

第2位 (★5)「のび太と鉄人兵団」:映画ドラえもん史上最高の感動シーン

本作品は1986年公開、映画ドラえもんの7作目です。「新・のび太と鉄人兵団」として新ドラ版でリメイクもされています。

この映画のラストシーン、リルルと静香の永遠の別れは、映画ドラえもん史上最高の感動シーンだと思います。書きながら思い出すだけでもちょっと涙が滲んできます…。
私が好きなこの映画の要素を4つに分けて説明します。

(1)ミクロス
スネ夫のロボット、ミクロス。コメディ要員として優秀で、思わず声を出して笑ってしまうほど面白いシーンが満載です。こういう、コメディとシリアスの同居こそ映画ドラえもんの一番の魅力だと思うのですが、これが成り立っている作品は思いのほか少ないです。その中でもこの作品はそれが高いレベルで成り立っていて、ミクロスのお陰です。

(2)家の中で のび太が静香をロボットから救うシーン
このシーンがとても良いんです。
のび太に駆け寄り抱きつく静香「良かったぁ…のび太さん、怖かったわ」
家の外からジャイアン「(ロボットが)居たぞ。のび太、早くしろ〜!」
のび太「ちぇっもう…いいところなのに…」「すぐに戻る!ここに居てね!」
すぐに仕事に戻るのび太。うーん、めちゃくちゃいい男!

(3)地下鉄入り口でのび太がリルルに銃を向けるシーン
このシーンでは、リルルが祖国メカトピアのスパイとして果たすべき義務と、人間に対して親しみを感じ始めている感情との間で葛藤している様子が描かれます。自ら祖国を裏切るほどの決心はまだできていない。でも、敵であるのび太が撃って止めてくれるなら祖国に対する義理を立てつつ、人間達を助ける事ができる。だから、のび太に「撃つぞ」と言われた時、すごく嬉しそうな顔をするんですね。子供の頃はそんな事に気づく由も無かったですがちゃんと登場人物の細かい感情にまで心を配って製作されています。

(4) 映画ドラえもん史上最高の感動シーン
最初に書いたように、ラストシーンが映画ドラえもん史上最高といえるほど素晴らしいのですが、これは原作の素晴らしさだけでなく、抜群の演出と抜群の静香の演技(CV:野村道子)あってのものです。
抜群の演出というのは、ここで悲しみ一辺倒ではなく、#1.悲しみ→#2.喜び→#3.悲しみ、という持ち上げて落とすような演出をしているんですね。具体的に説明します。
リルル「今度生まれ変わったら…天使のようなロボットに…」
静香「リルル…あなたは今…天使になってるわ…」
#1.ここで別れの悲しさに涙を流すも、
静香「2人は…ずっと友達よ」
リルル「お友だち…!」
(握手)
#2.この瞬間、深い悲しみの中にも関わらず、初めて心が通じ合った喜びによりなんと2人に笑顔がこぼれます。
しかし次の瞬間、非情にも突然の別れが。静香と握手しながらリルルの存在が消滅します。
#3.「リルルーー!」静香の慟哭。そしてこの時の野村道子さんの演技がもう迫真過ぎて…(絶句)

前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在しますが、絵が古いという一点を除く全ての点で新ドラ版を凌駕しているので、ぜひこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。

第3位 (★5)「のび太のパラレル西遊記」:親子愛を感動的に表現した超名作

本作品は1988年公開、映画ドラえもんの9作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

タイムマシンによる過去改変で、見た目こそそっくりだがみんなの中身が妖怪になってしまった世界。まずこの不気味さの描き方が秀逸です。映画ドラえもんの他の作品は冒険に出かけて家に帰ることが目的ですが、この作品ではジャイアンスネ夫もしずかも、みんな自分の家族の中身が妖怪になってしまい、恐ろしくて家に居られず、のび太の部屋に集まります。帰るべき家が無くなった所からスタート。
過去に戻って原因の牛魔王を倒し、”現在”に戻りママが妖怪ではない本来のママに戻っている事が分かるや、ママの胸に飛び込んで安心の涙を流すラストシーン。幸せな日常を取り戻した安心感。本当に心を動かされます。

私は子供の頃にこの映画をテレビ放送をビデオに撮ったものを何十回と観ていましたが、小学校の高学年くらい、母親にまだ甘えたいけれど恥ずかしさからそれができない年齢のときに、このシーンを観て自分を重ねていたのかもしれません。

リンレイ少年とのび太を対照的に見せる演出も見逃せません。
のび太がママの胸に飛び込んで甘える事ができる幸せを取り戻した一方、リンレイ少年は両親を失ってしまいました。のび太の幸せ・安心に共感するほど、両親を失ってしまったリンレイ少年の哀しみが沁みます。でも哀しいだけではなく、リンレイ少年の幸せを心から想う新しい父ができた、という希望を用意しているのが本当に素晴らしい。

映画ドラえもんで、親子(保護者)との愛や絆を描こうとしている作品はたくさんありますが、この作品ほどそれに成功しているものはありません。

その他、この映画について。
(1)みんなの中身が妖怪になってしまった世界で野比家の食卓でママ「ハイお待ちどうさま、パパの好物・トカゲのスープ」のシーン、印象が強すぎて30年経った今でも私だけでなく私の親までもが覚えているという…すごいです笑。この妖怪世界の描写はかなり不気味ではあるんですが、同時にどこかコミカルさも持ち合わせているところが、藤子漫画らしくて大好きです。
(2)エンディング主題歌「君がいるから」が素晴らしく、映画ドラえもんのエンディング主題歌の中で一番好きです。
(3)藤子・F・不二雄先生が体調不良だったため、先生が存命中で唯一、先生ではない人が脚本を書いた作品です。
(4)この作品公開が1988年、「ドラゴンボール」のアニメ放映が1986年開始です。もしかしたらドラゴンボールのヒットに影響を受けて、孫悟空をテーマに選んだのかもしれません。音楽などもドラゴンボールの影響を受けているように感じました。

第4位 (★5)「のび太の魔界大冒険」:ワクワクの魔法世界、美夜子さん、よくできたトリック、チンカラホイ!…最高です。

本作品は1984年公開、映画ドラえもんの5作目です。「のび太の新魔界大冒険」として新ドラ版でリメイクもされています。

(1)ワクワクの魔法世界!
もしもボックスを使って朝起きると、世界が魔法世界に一変!この描き方が本当に最高です。
朝、ドラえもんが家の庭で何気なく空を見上げると、空は魔法の絨毯や空飛ぶほうきの通勤・通学ラッシュ笑。ここでBGMも不思議な感じの楽しい音楽に変わって「楽しい魔法世界」を演出してくれます。(このBGMはエンディング主題歌「夢のマジカル」のインストゥルメンタル版です)
なお、このBGMとエンディング主題歌は、現在販売・レンタルされているDVD・VHSビデオでは大人の事情で置き換えられてしまっています。近年はオリジナルに戻される傾向があり、Amazonプライム・ビデオやWowowでの放送ではオリジナル版でした。「夢のマジカル」は本作の大事な要素なので、是非オリジナル版のソフトを選んで鑑賞することをお勧めします。
魔法世界のテレビCMとか魔法世界の様々な描写も本当に楽しく、「こんな世界があったらな〜」というドラえもんらしいワクワク感に満ちています。藤子・F・不二雄先生もここは書いていて特に楽しかったんじゃないかなと想像します。そしてこのワクワク感から徐々に、不気味な展開になっていくのも上手いです。

(2)美夜子さん!
美夜子さんは、映画ドラえもん全作品の中で私が一番好きなゲストキャラです。17歳くらいでしょうか?のび太から見て絶妙な年齢差のお姉さんなのも堪らないですね。見た目の可愛らしさもさることながら、魔界での戦いの時に見られる機知と勇敢さが素敵です。そして、キラリと溢れる涙…最高です。

(3)よくできたトリック
魔界大冒険は、タイムマシン・もしもボックスを使って時間軸と並行世界を行き来するちょっと複雑な話ですが、初見の子供でも「なるほど、冒頭でドラえもんのび太の石像が空から落ちて来た理由はそうだったのか!」と謎が解ける面白さを感じられる本当によくできたトリックだと思います。ドラミが説明してくれた「パラレルワールド」という概念は子供の頃に見たときに強く脳に焼き付いて大人になった今でも忘れられません。

(4)チンカラホイ!
チンカラホイ!でスカートめくりするのも、最後現実世界に戻って「チンカラホイ!」→「風だよね、きっと」も、子供の頃に見てからずっと忘れないシーンで、もはや自分自身の大切な思い出となっています。

前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在しますが、新ドラ版はあからさまな泣き要素の追加やテンポの悪さ、キモい身体の動きや表情など、本当にセンスが無くてキモい作品になっているので、ぜひこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。

第5位 (★5)「のび太の大魔境」:ジャイアンの魅力が光る作品

本作品は1982年公開、映画ドラえもんの3作目です。「新・のび太の大魔境」として新ドラ版でリメイクもされています。

映画ドラえもんといえば、いつもただの乱暴者のジャイアンが頼りになるいい奴となって活躍するのが見どころの一つですが、本作は他の映画ドラえもん作品と比べても、特にジャイアンの魅力が光る作品となっています。みんなを自分の考えに従わせる強引なジャイアン、自分のせいでみんなを危険に晒している事に責任を感じて一人涙するジャイアン、みんなに率先して勇気を見せるカッコいいジャイアン。ただカッコいいだけのジャイアンではない所が良いです。また、ラストシーンではのび太よりも深くペコとの友情を育んだように思わせるシーンがあるのが面白いです。

ストーリーはシンプルで分かりやすいし、冒険のワクワク・ドキドキ感も秀逸で、ひみつ道具の使い方もそれを引き立てています。そしてラストのトリックが非常に良くできていて気持ちいいです。冒険から帰ってすぐにまた、「よし!今すぐに僕たちを助けに行こう!」という映画の終わり方はループ感のあるトリックの面白さと同時にさわやかさを感じる事ができ、映画ドラえもんの終わり方の中で屈指ではないでしょうか。

巨大兵器の巨神像が動くシーンは、子供はワクワクすると思いますが、巨神像が飛行戦艦を次々に握り潰すシーンなどは、ちょっとやり過ぎな気もします。ドラえもんアニメの制作会社・シンエイ動画の社長・楠部三吉郎の著書「ドラえもんへの感謝状」によると、藤子・F・不二雄先生は本作について「作品の出来はいいと思う」が「私の世界を理解していただいていない。監督をかえてもらえないか」と仰ったそうで、実際次回作から芝山監督に交代になります。具体的にどのシーンが駄目だったのかは本には書かれていませんでしたが、このシーンがそのひとつだったのかもしれません。
でも!私はこの監督は十分に良い仕事をしていると思います。私がこの作品を観る時は何の違和感もなく没頭して楽しむ事ができていますから。

前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在します。新ドラ版のリメイクは何作品かありますが総じてセンスの悪い改変にがっかりさせられる事が多い中、この「大魔境」のリメイクは余計な改変が少なく、私はとても好感を持っています。
しかし旧ドラ版で感じられる藤子漫画らしいテンポの良さは新ドラ版では残念ながら消えてしまっているので、どちらかといえばこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。

第6位 (★5)「のび太の月面探査記」:新ドラ映画の中では最高傑作!

本作品は2019年公開、映画ドラえもんの通算39作目(新ドラ14作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

この作品は、新ドラ映画の中では最高傑作だと思います!映画ドラえもん全作品を平等に評価するために第1作から一気に全作品を観てきましたが、やっと新ドラでも名作と呼べる作品が生まれ嬉しく思います。新ドラ8作目「ひみつ道具博物館」も名作でしたが映画ドラえもんらしい冒険要素がある正統派の作品では初めての名作と言えます。

監督は八鍬新之介さんです。この監督は過去に「新・大魔境」「新・日本誕生」の2作品を手掛けており、いずれも良いリメイク作と好感を持っていましたが、今回は完全新作でこのような素晴らしい作品を送り出してくれました。今後もこの監督(とスタッフ)で毎年映画を製作してくれたら嬉しいのですが。

この映画ではまずキャラデザが素晴らしく、映画ドラえもん史上最高だと思います。ゲストキャラのルナとルカがすごく可愛いだけでなく、新ドラでおそらく初めてジャイアンの白目を完全に取り戻し、怒り顔も笑い顔もびっくり顔も自然な表情になりました。この事がとても嬉しく、今後もぜひこのキャラデザで行って欲しいです。
藤子・F・不二雄先生の漫画ではジャイアンの目は確かに白目が無いデザインが基本なのですが、あれは静止画ならではのデザインでアニメには向かないとずっと感じていました。

ストーリーも良くできていて、ラストも感動を押し付けるようなこともなく良いです。脚本の辻村深月さんは「『まるでF先生が描いたみたい』と言ってもらえるような映画を目指した」と言っていますが、その通りになっていると思います。

異説バッジで作ったウサギの国の細かく描き込まれたワイガヤ具合とか、ウサギ達がカグヤ星に乱入してくるラストバトルは、まさに新ドラならではの良さで、子供達も大興奮で観ていました。

第7位 (★5)「のび太のひみつ道具博物館」:新ドラ映画8作目にして初の名作誕生

本作品は2013年公開、映画ドラえもんの通算33作目(新ドラ8作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

映画ドラえもんと言えば、のび太達がちょっと危険な大冒険に出かけるのが通例ですが、この映画は大冒険でもなければ強大な敵も出てこない推理・探偵モノのストーリーになっています。小学3年生の息子、小学1年生の娘は名探偵コナンや おしりたんてい、怪盗ジョーカー等この手の作品が大好きなので、この作品もお気に入りのようで何度も繰り返し観ています。
舞台となる22世紀の「ひみつ道具博物館」の館内で、背景まで丁寧にたくさんの道具が描き込まれているのは、絵が綺麗な新ドラの良さが出ています。また、キャラの表情や身体の動きも新ドラ映画の初期の頃の作画のキモさがほぼ解消されていると思います。
新ドラ特有の、あからさまな泣き要素が無いのも良いです。この作品でも、報われないマッドサイエンティストとか、のび太ドラえもんのハートフルな思い出とか、強引に「泣かせる」展開に持っていく事はできたはずですが、たしか作中で一度も涙はなかったはずです。これは称賛に値する大英断だと思います。

最後に、どうでもいい事を1つ。
しずかちゃんのパンチラが全然無いのはポリコレ配慮なのかな、と思って見ていたら、掃除機が暴走するシーンで服もパンツも引きちぎれてお尻が丸出しになるシーンがあってビックリしました笑

第8位 (★4.5)「のび太の宇宙開拓史」:ラストの別れのシーン+主題歌「心をゆらして」は屈指の名シーン

本作品は1981年公開、映画ドラえもんの2作目です。「新・のび太の宇宙開拓史」として新ドラ版でリメイクもされています。

ストーリーはシンプルだけど、丁寧です。
ロップル・クレム・チャミーとの友情(クレムとのび太の間には淡い恋もあるようにも見える)は、途中に何度か地球に戻りながらもコーヤコーヤ星の季節がひと回りするくらいの期間をかけての交流が丁寧に描かれます。これは、映画ドラえもん作品全ての中で最長です。しかもこの間、ジャイアンスネ夫、静香は地球に置いてきているので のび太ドラえもんとこのゲストキャラ達との交流がより深く味わえるようになっていて、つくづくよく考えられていると思います。このように丁寧に交流を描いているからこそ、ラストシーンに心を動かされるんですね。ラストシーン:異次元空間を挟んでの永遠の別れのシーン+主題歌「心をゆらして」は映画ドラえもんの中で屈指の名シーンです。
のび太の2大特技、あやとりと射撃の脚本の中での活かし方も非常に上手いです。藤子・F・不二雄先生没後の映画ドラえもんではこの2大特技が乱発されるようになりますが、もっと大事に使って欲しいものです。

前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在しますが、旧ドラ版はやはり第一に藤子漫画らしいテンポの良さがあり、見ていて楽しいです。それから新ドラ版はあからさまな泣き要素の追加とか、本当にセンスの無い改変がなされているので、ぜひこちらの旧ドラ版を観ることをお勧めします。

第9位 (★4.5)「のび太の恐竜」:シンプルだけどワクワクさせてくれる名作

本作品は1980年公開、映画ドラえもんの1作目です。「のび太の恐竜2006」として新ドラ版でリメイクもされています。

子供の頃好きだった作品です。漫画は所有していて繰り返し読みましたし、映画も当時レンタルビデオで借りて大変楽しみながら観たのを覚えています。
大人になってからもう一度観たら、ストーリーがとてもシンプルな事に気がつきました。この映画での最大の敵・密猟者とのバトルも、真正面からやり合ってやっつける訳ではなく、ただラッキーなだけで切り抜けています(笑)。
強大な敵と戦わなくても、”考えさせられる”教訓が含まれていなくても、「恐竜の卵を見つけて、自分で孵して、白亜紀の恐竜の世界を仲間と冒険する」これだけで十分ワクワクさせてくれる、そんな作品です。

前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在します。
旧ドラ版新ドラ版のストーリー上の違いは、密猟者とのバトルの内容が結構違うのと、密猟者とのバトル後の日本への帰り方が違うだけで、それ以外のエピソードはほぼ同じです。個人的にはストーリー上の違い(密猟者とのバトル内容、日本への帰り方)はどちらでも良いのですが、新ドラ版の演出の低レベルさは到底許容できるものではありませんでした。同じエピソードでも演出の違いでここまで違うものになるという事を、この新旧比較で学ばせてもらいました。
旧ドラ版がすごく優れているという訳では無いです。絵は時代相応のクオリティだし、全体的に間延びしているように感じるし、改良できそうなシーンもたくさんあります。でも、製作者がちゃんと観客にストーリーを伝えるために映画を製作している。
対して新ドラ版は、制作者たちが観客そっちのけで自分たちの描きたい絵を描いているため、肝心のストーリーが正しく伝わってきません。ぜひ、こちらの旧ドラ版「のび太の恐竜」を観る事をお勧めします。

第10位 (★4.5)「宇宙小戦争2021」:大人気作のリメイク。おすすめ!

本作品は2022年公開、映画ドラえもんの通算41作目(新ドラ16作目)で、1985年公開の映画ドラえもん第6作「宇宙小戦争(リトル・スター・ウォーズ)」のリメイクです。

本作品は元々2021年春公開のために準備されていましたが、公開直前に新型コロナウイルス感染症対策のために公開の1年延期が決まりました。タイトルは当初のまま"2021"となっています。

旧ドラ版の「宇宙小戦争」は映画ドラえもんの中でも非常な人気作で、「好きなドラ映画」の第1位に挙げる人も多く、私もそのひとりです。本作は、そんな大人気作のシナリオにあまり変更を加えずにリメイクされており、オリジナルの面白さが維持されています。旧ドラに親しんできた私からすると旧ドラ版の方がおすすめですが、新ドラの新しくてきれいな絵に親しんできた子供にはリメイク版の方が見やすいと思います。

最後に、旧ドラ版の方が優れている点を挙げてみます。
・旧ドラ版は、全編を通じて緊張感が高くスリリング。ギャグもその落差によってより面白く感じる。
・旧ドラ版は、ピシア・ドラコルル長官がホタル型探査球でのび太たちをスパイするシーンが面白い。スネオを見て「うーむ、恐るべき軍備だ!こいつかぁ地球製の武器を一手に作っておるのは。重要人物だ、こいつもマークしろ!」って笑。おもちゃでなく各国の本物の兵器をマークしろよ!って大人には可笑しく微笑ましく見える一方、子供たちにとっては誇らしくもある。シリアスとギャグの同居。ジャイアンを見て「なんと凶暴な顔の地球人!こいつを徹底的にマークしろ!」のび太ドラえもんを見て「長官、珍しい動物がおりますが。どれ?見るからに間の抜けた顔だ、ほっといていいだろう」っていうオチも最高。今の子供達にも絶対にウケるとおもうのに、なぜカットしたんだろう。
・旧ドラ版は、静香ちゃんの涙に心動かされる。うさぎのぬいぐるみが行方不明になり、「大好きなぬいぐるみだったのに…あぁぁ〜ん。」て泣いちゃう静香ちゃん激萌えです。自分の身代わりにパピが囚われてしまった事に責任を感じて泣く静香ちゃん(2回)も可愛い。基地の隅に隠れたスネ夫を置いて出撃し「あたしだって怖いわよ…でも、このまま独裁者に負けちゃうなんて、あんまりみじめじゃない!やるだけの事やるしか無いわ!」目に涙を浮かべながら勇気を振り絞る静香ちゃん、素敵すぎます。
・ピリカ星に着いてからのドラえもん陣営とピシアの一進一退の激アツ攻防。「片付けラッカー」で姿を消して街に潜入→効果が切れて見つかる→「チーターローション」で見えない速さで脱出→効果切れてまた見つかる。のうち、「チーターローション」が残念なことに新ドラ版ではカットされてしまった
・旧ドラ版の主題歌「少年期 / 武田鉄矢」はやっぱり良い。
・旧ドラ版の方が演出力がかなり高く、どの場面も旧ドラ版の方が雰囲気がある。新ドラ版単体で観ると良いリメイクに見えるが、新旧を直接見比べると差は想像以上に大きい。

子供にはリメイク版の方が見やすいとは思う。しかし…できれば今の子供たちにも旧ドラ版で深い感動を味わってもらいたいと、どうしても思ってしまう…。

第11位 (★4)「のび太と竜の騎士」:地底世界、6500万年前の世界。スケールの大きい名作です。

本作品は1987年公開、映画ドラえもんの8作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

私の子供の頃のお気に入り映画です。テレビ放送をビデオに撮ったものを何十回と観ていました。
広い地底世界に子供達だけの秘密基地を作るワクワク感とか、良い人なんだけどどことなく不気味な雰囲気のバンホーさんとか、ラストで明らかになる大いなる謎の種明かしとか、なにせ子供達の大好きな恐竜の出てくる話だし、名作です。
それでも今ひとつ物足りなく感じるのは、のび太達が自分たちの勇気や工夫で目標に向かって進んでいくストーリーになっていないためでしょうか。のび太達が終始災難に翻弄されているだけのように見えてしまいます。
のび太の恐竜」ではピー助を白亜紀の日本に連れて帰る為・のび太達が現代の日本に変える為に頑張ったし、「宇宙開拓史」ではコーヤコーヤ星の平和の為に頑張ったし、「大魔境」ではバウワンコ王国の平和の為に頑張りました。一方本作では、地底世界の野蛮人に捕まった所をガンホーに助けられ、ガンホーの元から脱走してまた野蛮人捕まった所をガンホーに助けられ(2回目)、ガンホー達恐竜人の船で来た6500万年前の世界でまた脱走します(笑)。まあ、それを差し引いてもまだ面白いのですが。

最後に一点、私がこの映画で一番好きなシーンを。ひみつ道具「○×うらない」の前での、のび太とママとの掛け合いは爆笑必至です。

第12位 (★4)「のび太ドラビアンナイトドラえもんらしい楽しさ溢れる名作

本作品は1991年公開、映画ドラえもんの12作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

静香ちゃんを絵本の世界の中に残したまま、絵本をのび太ママに焼かれてしまったときの絶望感は歴代映画ドラえもんのピンチの中でもトップクラスです。映画ドラえもんは最後ハッピーエンドに決まっているのに、「え?もうどうしようもないじゃん…」と不安な気持ちにさせられます。この時ののび太のセリフもメチャ怖いです→「思い切って静香ちゃんのママに話そう…驚くだろうな…一人娘だもんな…悲しみのあまり自殺なんて事に…聞いた途端、心臓麻痺を起こしたりして…」いや、本当に怖いです。。。
しかもこの後、静香ちゃんは行方不明になってから20分近く(のび太の夢以外では)登場せず、安否が全く分からない状態が続きます。怖い〜。一緒に観ていた小学一年生の娘は「この後も映画ドラえもんは続くんだから大丈夫に決まってるでしょ!」と冷静でしたが笑。

ストーリー構成も盛り沢山で楽しいです。序盤は「絵本入りこみぐつ」でいろんな絵本を楽しむワクワク感、中盤は捕われの静香ちゃんを助けに行くドキドキ感、終盤は頼もしい仲間シンドバットおじいちゃんを得ての悪役との戦いです。
シンドバットの冒険を下敷きにして史実も絡めているので、観終わってからシンドバットの冒険を読んだり、史実を調べたりという楽しみ方が広がるのも良いです。

その他、印象に残った点を書きます。
(1)静香「信じるわ。のび太さん、ドラちゃん、武さんにスネ夫さん、きっと助けに来てくれるわね…」→いつもの共闘する静香ちゃんも良いですが、今回の捕らわれの静香ちゃんはヒロインらしさが増していていつにも増して可愛いです。
(2)日射病になってしまったのび太を「しっかりしろよ、のび太」と言って背負い、ターバンテントの中で「熱は下がったみたいだけど、水でもあればなぁ」と介抱してくれるジャイアンが優しくて心温まります。
(3)のび太ドラえもんジャイアンスネ夫の4人で助けに行ったのに、静香「のび太さぁん…」真っ先にのび太の名を呼んでのび太の手を握るのは、この2人は完全にデキてますね笑
(4)終盤のバトルシーンは、ドラえもんらしいユーモアに満ちていて楽しいです。シンドバットに追い詰められた悪党が党から落ちた時、ドラえもんが「危ないっ!」と言って敵に優しさを発揮して助けるのも良いです。
(5)エンディング「心のゆくえ」はとても良い曲で、美しい声の白鳥英美子さんが歌うので最高です。

第13位 (★4)「のび太太陽王伝説」:ドラビアンナイト以来の名作

本作品は2000年公開、映画ドラえもんの21作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

地球環境破壊への啓発などの説教めいたメッセージがなくエンタメに徹した作品になっており、映画ドラえもん第12作(1991年)「ドラビアンナイト」以来、久しぶりの名作だと思います。

マヤナ国の王子ティオとのび太がしばらくお互いの生活を体験する中盤までの展開は、シンプルに面白く飽きさせません。特に王子とのび太ママとのやり取りはかなりギャグとして面白く、久しぶりに映画ドラえもんで笑わせてもらいました。そしてこの中盤のエピソードでキャラの深掘りがなされるので、終盤の展開にも素直に感情移入することができます。

古代世界に行って、ドラえもんひみつ道具で無双できるのも楽しいです。特に、雨乞いのために女の子を生贄に捧げようとしているのをのび太が止めさせて、代わりに「お天気ボックス」ですぐに雨を降らせる場面が好きです。生贄を止めさせるのはのび太の優しさではあるけれど、それでもし雨が降らなかったら古代世界の人たちは納得しないでしょう。それがひみつ道具のお陰で、結果的にみんなハッピーになる。いいですね。

由紀さおり安田祥子 姉妹によるED主題歌「この星のどこかで」も綺麗な歌声でとても良いです。

第14位 (★4)「のび太の海底鬼岩城」:静香とバギーちゃんが主役の映画

本作品は1983年公開、映画ドラえもんの4作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

子供の頃、大好きだった作品です。大人になって観てみると、昔ほどクライマックスのバギーちゃんの犠牲で感動することは出来なくなってしまいましたが、良い作品です。
深海の世界をバギーで旅するという設定がとても独創的だし、当時の東西冷戦・核戦争の危機を反映された設定がよく考えられていると思います。核戦争の危機といえばターミネーターもそうですね。バギーちゃんというロボットに感情移入してしまうストーリーも似ていますが、ターミネーター2の公開は1991年なのでこの作品の方がだいぶ早いです。
ゲストキャラで言うと、バギーちゃんがもちろん主役で一度見たら強烈な印象が残るのに対し、海底人代表のエル少年との交流は薄く、私は大人になって再度鑑賞した時には完全に忘れていました。

前作「大魔境」はジャイアンにフォーカスした作品でしたが、本作では静香にフォーカスしていて、その扱いはのび太を超えて主役と言っても差し支えないくらいです。

あと、学べる科学知識が特に多いのもこの作品の特長です。以下のような科学知識が登場します:大陸棚/バミューダ海域/マリアナ海溝が1万メートル/深海が物凄い水圧で日光が届かない/30億年前に海で生命の誕生し、進化して3億年前に地上に上がった(数字は記憶が正確ではないかも)

私が子供の頃に好きな作品だったので、新ドラ映画を中心にドラえもんに親しんでいる うちの子供達(小学3年生男子、1年生女子)に見せてみたのですが、あまりウケが良く無かったです。子供にはやっぱり絵の見た目のきれいさが重要な要素なのかもしれません。

第15位 (★4)「新・のび太の大魔境~ペコと5人の探検隊~」:ジャイアンの魅力が光る作品

本作品は2014年公開、映画ドラえもんの通算34作目(新ドラ9作目)で、1982年公開の映画ドラえもん第3作「のび太の大魔境」のリメイクです。

映画ドラえもんといえば、いつもただの乱暴者のジャイアンが頼りになるいい奴となって活躍するのが見どころの一つですが、本作は他の映画ドラえもん作品と比べても、特にジャイアンの魅力が光る作品となっています。みんなを自分の考えに従わせる強引なジャイアン、自分のせいでみんなを危険に晒している事に責任を感じて一人涙するジャイアン、みんなに率先して勇気を見せるカッコいいジャイアン。ただカッコいいだけのジャイアンではない所が良いです。また、ラストシーンではのび太よりも深くペコとの友情を育んだように思わせるシーンがあるのが面白いです。

ストーリーはシンプルで分かりやすいし、冒険のワクワク・ドキドキ感も秀逸で、ひみつ道具の使い方もそれを引き立てています。そしてラストのトリックが非常に良くできていて気持ちいいです。冒険から帰ってすぐにまた、「よし!今すぐに僕たちを助けに行こう!」という映画の終わり方はループ感のあるトリックの面白さと同時にさわやかさを感じる事ができ、映画ドラえもんの終わり方の中で屈指ではないでしょうか。

新ドラ版の監督は八鍬新之介さん。この人は本作および「日本誕生」の2本のドラえもん映画をリメイクしていますが、いずれも余計な改変が少なく、旧ドラのシナリオをほとんど変更せずに新ドラにリメイクしてくれています。改変すること自体が悪い訳ではないのですが、映画ドラえもんの場合、全てのリメイク作で余計な改変が作品の質を低下させてしまっているので、ありがたいです。

この映画の新ドラ版での改変は、ラストバトルの直前の夜にのび太がペコを励ますシーンが追加されたのと、ラストの別れの時にのび太がペコを抱きしめるシーンが追加されている位で、他はほとんど同じです。この2つのシーンも、素晴らしく立派な人物(犬だけどw)であるペコを、のび太が自分よりも目下の人物のように接している事に違和感があり蛇足だとは思いますが、許容範囲です。

また、旧ドラ版で感じられる藤子漫画らしいテンポの良さも新ドラ版では残念ながら消えてしまっているので、私は旧ドラ版の方が好きですが、絵が時代相応なクオリティである事は否めないので、この新ドラ版リメイクの存在意義はあると思います。

第16位 (★3.5)「新・のび太の日本誕生」:良いリメイクです

本作品は2016年公開、映画ドラえもんの通算36作目(新ドラ11作目)で、1989年公開の映画ドラえもん第10作「日本誕生」のリメイクです。

この作品の良いのは、以下のような所です。
(1)「7万年前は氷河期で、海水面が低かったため大陸と日本列島は陸続きだった」とか「人間(日本人)はこの時代に日本列島に住んでいたのだろうか?」とか科学をベースにしてストーリーを組み立てているのが良いです。
(2)まだ人間が誰もいない時代に行って、洞窟を掘って快適な家を作ったり、畑に種を撒いて水やりをして美味しい食べ物(うな丼やカツ丼やスパゲティw)を収穫したり、卵から空想動物を孵らせて育ててその背中に乗って大空を翔んだりするのは楽しいです。

旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較しましたが、本作は旧ドラのシナリオをほとんど変更せずに新ドラにリメイクしてくれています。絵が新しい分、「日本誕生」は新ドラ版の方がお勧めです。

第17位 (★3.5)「のび太の日本誕生」:映画ドラえもん マンネリ化の始まり

本作品は1989年公開、映画ドラえもんの10作目です。「新・のび太の日本誕生」として新ドラ版でリメイクもされています。

私はこの作品以降、映画ドラえもんはマンネリ化に陥ったと考えています。「僕たち、そんなスリルと冒険が大好きな少年なんだ」というスネ夫のセリフと、そこからノリノリでヒカリ族救出とギガゾンビとの対決に向かう一行には首を捻りたくなります。
これまでの作品でこのようなノリは一度も無く、楽しくひみつ道具で遊んでいたところをトラブルに巻き込まれるか、友達のために勇気を振り絞って冒険に出かける展開でした。それが本作以降は、どこか最初からハッピーエンドが約束されている余裕というか、緊張感の無さが作品全体に感じられるようになってしまったと思います。
ストーリー展開のテンポの良さが失われ始めたりギャグの質が低下し始めたのもこの作品あたりからのような気がします。

この作品の良いところもあります。
(1)「7万年前は氷河期で、海水面が低かったため大陸と日本列島は陸続きだった」とか「人間(日本人)はこの時代に日本列島に住んでいたのだろうか?」とか科学をベースにしてストーリーを組み立てているのは良いです。
(2)まだ人間が誰もいない時代に行って、洞窟を掘って快適な家を作ったり、畑に種を撒いて水やりをして美味しい食べ物(うな丼やカツ丼やスパゲティw)を収穫したり、卵から空想動物を孵らせて育ててその背中に乗って大空を翔んだりするのは楽しいです。

前述の通り、本作は新ドラ版のリメイクが存在します。
新ドラ版の監督は八鍬新之介さん。この人は本作および「大魔境」の2本のドラえもん映画をリメイクしていますが、いずれも余計な改変が少なく、旧ドラのシナリオをほとんど変更せずに新ドラにリメイクしてくれています。旧ドラ版の絵が古臭いことは否めないので、「日本誕生」はリメイク版の方がお勧めです。

第18位 (★3.5)「のび太とアニマル惑星」:イマイチ。のび太達の冒険、自然環境破壊問題への批判どちらも中途半端。

本作品は1990年公開、映画ドラえもんの11作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

子供の頃、映画館で観た思い出の作品です。同伴の祖母に頼んで、そのまま座席に残って2周目を観ました(当時の映画館はそういう事ができました)。当時は2周目を観るくらい面白く感じたのですが、大人になって見返したらイマイチでした笑。
のび太達の冒険よりも、人間による自然環境破壊を批判する内容になってしまっています。自然環境破壊問題の啓発をする事は悪い事だとは思いませんが、各国の首相や大統領を以ってしてもすぐに解決できる問題では無いのですから、当然のび太達にどうしようもできるわけがありません…。
のび太ママが環境問題について色々お説教をしてくれます。「裏山を切り崩してゴルフ場にするなんてとんでもない」「紙の無駄遣い、食べ物を粗末にしない、エネルギーを使いすぎると炭酸ガスによって地球の天気がおかしくなる…」まあ、それはその通りなんですけど笑。
映画ドラえもんはこの作品を皮切りに、ネタ切れ+自然環境破壊への傾倒が原因で質が低下していったように思います。

肝心の冒険の方はと言うと、この作品におけるのび太達の冒険の一番の目的は、友達のチッポとアニマル星の住民を、ニムゲの侵略から助ける事ですが、ほとんどをニムゲ警察がやってくれちゃいます。
うーん、イマイチです。

この作品では以下のように、いくつか設定に矛盾や雑な点も見られます。もしかしたら、原作の執筆中で結末も決まっていない状態で映画の制作が始まったのかも知れません。
(1)ピンクのもや は、土に埋まった装置から出ているのに、嵐の風によって湧き出し地点が数メートル移動したのはおかしいです。
(2)のび太ドラえもんは最初にアニマル星を訪れたときにチッポとその家族に元の姿を晒して、タヌキさん、サルさんと呼ばれていたのに、2回目以降の訪問時は「動物ごっこぼうし」でネコさん、クマさんになるのはまだ良いとして、チッポに元の姿を秘密にしているシーンがあるのはおかしいです。
(3)地球と関係のない星に、地球とそっくりの生態系があるのはおかしいです。まあ、22世紀のひみつ道具・どこでもガスを持ち込んだ人間が1000年前にいたみたいなので、アニマル星のニムゲや動物達も22世紀の地球から来た・持ち込まれたとすれば説明がつきますが…。従来の映画ドラえもんなら、そこまで謎を解き明かしてスッキリさせてくれてた所です。

第19位 (★3.5)「のび太とふしぎ風使い」:ドラえもんの世界観にミスマッチですがまあまあ面白いです

本作品は2003年公開、映画ドラえもんの24作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

この作品の設定は映画ドラえもん全作品の中で最も異質で、はっきり言ってドラえもんの世界観と合っていません。しかもこの作品なりの世界観が矛盾なく成り立っているかというとそうでもありません。「風の谷のナウシカ」の設定を深く考えないでパクったような世界観で、ドラえもんの世界観と組み合わせたためかあちこちに不自然な点が目立ちます。この作品を楽しめるかどうかは、設定を受け入れられるかどうかによると思います。
ストーリーは良くできていると思います。フー子=バギーちゃんという見方をすると、名作として挙げられる事が多い映画ドラえもん第4作(1983)「海底鬼岩城」にとてもよく似ています。フー子とバギーちゃんが強烈に印象に残る一方で、もう一方のゲストキャラ(風の民の子供テムジンとアトランチス連邦の少年エル)が空気、という悪いところまでよく似ています笑

作画は前作と比べて数年分一気に進化したように見えます。この作品から作画監督が富永貞義から渡辺歩に交代になりました。渡辺歩がこの作品の後に監督を務めた映画ドラえもん作品「のび太の恐竜2006」「のび太と緑の巨人伝」の作画は映画ドラえもん史上最悪だと思いますが、この作品の作画は好きです。のび太達レギュラーキャラも可愛いし、ゲストキャラで本作の主役とも言えるフー子のキャラは出色の可愛さだと思います。

スネ夫の扱いがかなりひどいのも本作の特徴です笑。映画ドラえもん第17作(1996)「銀河超特急」でもそうでしたが、悪いやつに憑依される役回りはどうしていつもスネ夫なんでしょう笑。

第20位 (★3.5)「のび太と夢幻三剣士」:ドラクエをモチーフにした作品。ラストシーンは好き

本作品は1994年公開、映画ドラえもんの15作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

テレビゲームのドラゴンクエストをモチーフにした作品でしょうか。この映画が公開されたのは1994年。この時点のドラクエの最新作は1992年にリリースされたドラクエ5です。この頃のドラクエは凄かったです。1988年のドラクエ3の発売日に販売店の前に大行列ができたのがニュースになり、その後は新作の発売日毎にできる大行列はもはや風物詩として国民全体に認知されていました。
この映画の中で以下のようなところにドラクエ要素を感じました。
(1)カセットを取り替えることで色々な夢を見られる「気ままに夢見る機」はファミコンそのもの
(2)ドラえもんでは珍しい、のび太と静香の死と生き返りもドラクエの要素として取り入れたのでしょう。「死」といっても悲観的なものではなく、サクッと死んでサクッと生き返る(笑)のもドラクエらしいです。
(3)剣、魔法、ドラゴン、魔王、魔王軍、城、町などの要素もドラクエっぽいです。

ドラえもんがポケットを現実世界に置いて夢の中に入ったのに、「取り寄せバッグ」で夢の中にポケットを取り寄せたり、「かくしボタン」を押して夢の世界と現実の世界が入れ替えたのにあっさりとママに元に戻されたのはズッコケました。藤子・F・不二雄先生が物語の着地点に迷っているのがありありと伝わってくるようです。
映画10作目「日本誕生」まではシナリオの大筋には迷いが見られないのに、映画11作目「アニマル惑星」以降の作品はどれもシナリオの大筋に迷いが見られるように思います。それは視聴者にも伝わってくるもので、鑑賞中に「今、のび太達は何がしたいんだっけ?」と分からなくなる事もしばしばです。するとどうしても、映画への没頭度や感動は小さくなります。

ジャイアンスネ夫は一旦夢の中の冒険に参加したものの、途中からフェードアウトしてラストバトルでは蚊帳の外、というのはやはり今ひとつ盛り上がりに欠けると思いました。ところで、「三剣士」というのは誰のことなのでしょう?中盤までだったら、のび太ジャイアンスネ夫でしょうが、終盤だったらのび太・静香・ドラえもんだし…。

基本的に本作は今ひとつの出来栄えだと思いますが、ラストシーンは好きです。静香がのび太に本気で惚れている珍しいシーンが見られるし、のび太待望の「静香との結婚」シーンの直前で「気ままに夢見る機」が無慈悲に片付けられるというオチは笑わせてもらいました。

第21位 (★3.5)「のび太と翼の勇者たち」:ちょっと設定に無理がありますがまあまあ面白いです

本作品は2001年公開、映画ドラえもんの22作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

ちゃんと子供が楽しめる作品になっていると思います。ただ、ちょっと設定に無理がある点が多いと思いました。例えば以下のようなところです。
(1)ゲストキャラ「グースケ」は鳥人類なのに自らの翼で飛べず、ペダルを漕いで進む人力飛行機に乗って空を飛びます。この突飛な設定には序盤かなり面喰らいました笑
(2)ひみつ道具「進化退化放射線源」を使って鳥類を進化させる時の鳥野博士の顔がヤバイです笑。まあ顔がヤバイ以前に到底倫理的に許されない事をやっている事が問題ですが。
(3)フェニキアって一体何だったんでしょう?3億年前だとまだ恐竜もいない筈だし、そもそも口から火を吐く巨大生物なんて自然界には居なそうだし…
(4)フェニキアが可哀想です。ひみつ道具「進化退化放射線源」でさらなる怪物に進化させられて、最後はタイムマシンで宇宙送り…。

第22位 (★3.5)「のび太とロボット王国」:後半部分に雑さが目立つがまあまあ面白いです

本作品は2002年公開、映画ドラえもんの23作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

「ロボットも人間も仲良く生きていこうよ!」という事をテーマにした作品です。この世界でロボットが感情を持っている事に対する説明は「人間と暮らしているうちにロボットはやがて感情を持つようになった」という事らしいです。
私は、ドラえもんやドラミは特別扱いとしても、大量に生産されたロボットの全てが感情を持つというような設定には違和感を持ってしまいます。また、ロボットにおける親子関係って何だ?生殖機能はないだろう?という所も気になってしまいますが、そういう設定を受け入れることができれば子供は楽しめると思います。

その他の細かい感想など。

(1)地球に迷い込んだロボットの少年・ポコを「困っている奴を放っておけない!」くらいの軽いノリで冒険に出かけるのび太達。映画ドラえもんも23作目となり、観客も当然ハッピーエンドである事を最初から分かり切っている訳ですが、それでもハラハラ・ドキドキの冒険を期待して観ている訳で、この辺は危険な冒険に出かける心の葛藤などを丁寧に描いて欲しいと思います。

(2)ロボット王国の女王ジャンヌ。ロボットによるミスで父親を亡くし、ロボットから感情を抜く「ロボット改造計画」を推し進め、育ての親のロボット・マリアや一緒に育てられ弟同然のポコも捕らえようとする非情な女王が、ロボットと人間が仲良く共生する楽園を少し見ただけで心を入れ替えるってちょっと無理があります。
こういうのってほとんど生まれ持った素質の問題なんで、ジャンヌは今までもこれからもこういう人間なんだと私は思います。
ただ、ジャンヌのような考え方も理解できるので、大人向けの映画なら掘り下げたら面白かったかもしれません。そういう意味でこの映画は中途半端です。

(3)本作のラスボス的存在であるデスターが、あまりにもあっけなく倒されます。デスターの基地にドラえもんが突然「それ〜!!」とか言って超スピードで走り出して鉄の壁を頭突きで壊して侵入し、デスターの部屋にも頭突きで壁を破って侵入、そのまま落下して偶然デスターに頭突きを喰らわしてノックアウト。この間たったの35秒です笑。あまりにもやっつけ仕事ではないでしょうか。ひみつ道具を使ったまともな倒し方をちゃんと考えて欲しかったです。まあ残念な事に旧ドラ末期の映画ドラえもんではこれは良くある事で、「雲の王国」では猛ダッシュ+頭突きでタンクを壊し、「南海大冒険」ではラスボスを偶然落下頭突きで倒した前科があるのですが。。。

(4)ラストシーン、高速移動するロケットと地上を伝送装置で繋ぐ場面、ポコ「ぼく、ママの居る位置が分かる!」というところはちょっと意味が分からなかったです。。。

(5)ゲストキャラの魅力がちょっと足りないと思います。特にクルリンパというオコジョ型ロボット。声優に大御所の野沢雅子を使っていても完全に空気です。

(6)最後エンディングで家に帰ったのび太達がそれぞれママに抱きついて甘えるのはパラレル西遊記と同じなんですが、あの名作と比べることにより本作の微妙さが際立ってしまいます笑

第23位 (★3.5)「のび太のねじ巻き都市冒険記」:藤子・F・不二雄先生の遺作です

本作品は1997年公開、映画ドラえもんの18作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

この作品は、藤子・F・不二雄先生の遺作です。Wikipediaを読むと、人生の最後の最後の時間まで、本作の執筆につぎ込んだ事が分かります→
1996年(平成8年)9月20日、家族が夕飯の準備を告げるといつものように仕事部屋から返事があった。だがいつまで経っても食卓にやって来なかったので娘が仕事場へ呼びに行ったところ、机に向かったまま意識を失っているところを発見した。『ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記』の62頁目を描いている途中で、発見されたときは鉛筆を握ったままだったという。そのまま病院に搬送されたが、意識が回復することなく3日後の9月23日午前2時10分に東京都新宿区の慶應義塾大学病院で肝不全のためその生涯を閉じた、62歳没。

作中に、”種まく者”という生物の創造主、神様みたいなキャラが登場します。
「僕は種まく者。この星の創り主さ」「もう僕の役目は終わった」「私は行く…次の星へ、種を撒きに」
神様なんだけど親しみやすくて穏やかな性格のキャラで…どうしても、先生イメージが重なります(泣)。

先生がネームまで仕上げたのは、スネ夫がロケットをビッグライトで大きくするシーンまでで、映画の尺で言うと42%にあたります。残りは、先生の残したアイデアメモの断片を集めて藤子プロが完成させたのですが、この映画はちゃんと先生の作品のように感じられました。
ストーリーも先生らしく、子供達が楽しめる楽しい雰囲気なのも良いです。

以下、細かい感想など。

(1)ジャイアンが「環境破壊になるから」と咎められて工事を諦めるシーン:
ねじまき都市でジャイアンは「剛田建設」として、大雨が降っても心配が無いように堤防を作ったり、橋やハイウェイを計画したりと張り切っていたのに、動物たちに「剛田建設は環境破壊」と糾弾されて
ジャイアン「分かったよ…工事は諦めた。」
のび太・静香「ジャイアン!武さん偉いわ!」
一同「この星の為に、分かってくれてありがとう(拍手)」
というシーンがあります。
これだと、積極的にチャレンジするよりも、何もしない方が良い、というメッセージを子供達に与えてしまいます。ここは、「剛田建設の堤防が、みんなの安全の役に立っています。ありがとう。ただ、今後はアインモタイン博士の発明した環境に優しい建設資材を使ってもらえませんか?」→ジャイアン「オーケー!」という風に、チャレンジする人を勇気付けるような展開にしてもらいたかったです。

(2)金色の巨人から鬼五郎(ホクロ)と一緒に逃げるシーン:
ひみつ道具「人間機関車」を敵である鬼五郎(ホクロ)に付けて、一緒に逃げるシーン(笑)、ギャグ漫画らしくて好きです。

(3)スネ夫戦車砲でバラバラになった金の巨人(カブトムシ)の破片が、また集まって くっ付いて復活するシーン:
T1000じゃねーかwwwって大笑いさせてもらいました。ちなみにターミネーター2は1991年公開、本作は1997年公開です。

(4)のび太と静香:
静香を助ける為に自らの身の危険を顧みずに行動するのび太がカッコいいです。また、谷底に落ちたのび太を心配して泣く可愛い静香がたくさん見られます。

(5)軽率に生命を生み出していいものか?:
個人的にはどうしても、「生命のねじ」や「タマゴコピーミラー」で軽率に生命を生み出していく行為に抵抗を感じます。鬼五郎に至っては、最後ドラえもん達によって、無理やり1人の人間に戻されてしまいます笑。一人ひとり意思を持っていた鬼五郎達からすれば、殺されるのに近いのではないでしょうか。…まあ、子供達はあまり気にしないと思いますが。

第24位 (★3.5)「新・のび太と鉄人兵団」:旧ドラ版の方がリメイク版の本作よりも数段上の崇高な感動がある

本作品は2011年公開、映画ドラえもんの通算31作目(新ドラ6作目)で、1986年公開の映画ドラえもん第7作「鉄人兵団」のリメイクです。

リメイクなので旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較してみました。結論から言うと、圧倒的に旧ドラ版の方が良いです。具体的な比較は以下です。

新旧比較(1):ピッポ
新ドラ版ではジュドというロボットの頭脳の扱いについて、旧ドラ版を大きくアレンジしているのが特徴です。旧ドラ版ではジュドは全く話が通じないロボットとして描かれ、ドラえもん達は頭脳を改造して無理やり味方にしてしまう(笑)のですが、本作ではヒヨコのような可愛らしい容姿と「ピッポ」という愛称を与えて、のび太たちとの心の交流を経て味方になります。
新ドラ版では、リルルー静香 の関係にピッポのび太 の関係も加える事でより多くの心の交流を描くシーンが増えたのは良いのですが、デメリットもあります。物語の中盤では、メカトピア本隊の襲来への対抗策も定まらない中、まだ敵であるピッポと呑気に交流する事で緊張感が大きく損なわれてしまっています。また最後の別れのシーンも、リルルー静香の感動の別れに集中できる旧ドラ版に対し、リルルー静香の別れと、ピッポのび太の別れを行ったり来たりする新ドラ版は散漫で感動が半減している感じがします。

新旧比較(2):ミクロス
旧ドラ版、新ドラ版どちらでもミクロスは出てきますが、新ドラ版ではピッポに尺を取られてしまい、ミクロスのシーンが激減しています。旧ドラ版のミクロスはコメディ要員として優秀で、思わず声を出して笑ってしまうほど面白いシーンがいくつもあったのに、それらのほとんどは新ドラ版ではカットされてしまいました。
こういう、コメディとシリアスの同居こそ映画ドラえもんの一番の魅力だと思うのですが、中でも旧ドラ版鉄人兵団はそれが高いレベルで成り立っている作品だったので、リメイクによりその魅力が損なわれた事は非常に残念です。

新旧比較(3):リルル
新ドラ版のリルルのキャラデザは非常に可愛いです。小学1年生の娘が気に入って何度も見ています。子供はやはり見た目から入りますね。

新旧比較(4):ザンダクロスで誤って街を破壊してしまったシーン
旧ドラ版では、ザンダクロスが恐ろしい破壊兵器であることを知り唖然・戰慄する心の動きが丁寧に時間を使って描かれているのに対し、新ドラ版ではその時間をザンダクロスのエネルギーチャージの描写やビルが破壊されて美しい破片がキラキラ舞う描写に使ってしまっています。その後、ザンダクロスが本当の街で誤って暴れる事がないように、ザンダクロスは鏡の世界に置いていき3人だけの秘密にする事を決めるのですが、旧ドラ版では3人で固く決意を誓い合う場面が、新ドラ版ではドラえもんがそうする事をのび太と静香に提案するだけに改変されてしまいました。ここは子供達の決意を描いたすごく大事な場面だったと思うので改変が残念です。

新旧比較(5):家の中で、のび太が静香をロボットから救うシーン
旧ドラ版だと、このシーンがとても良いんです。
のび太に駆け寄り抱きつく静香「良かったぁ…のび太さん、怖かったわ」
家の外からジャイアン「(ロボットが)居たぞ。のび太、早くしろ〜!」
のび太「ちぇっもう…いいところなのに。すぐに戻る。ここに居てね!」
すぐに仕事に戻るのび太。うーん、めちゃくちゃいい男!

新旧比較(6):地下鉄入り口でのび太がリルルに銃を向けるシーン
旧ドラ版のこのシーンでは、リルルが祖国メカトピアのスパイとして果たすべき義務と、人間に対して親しみを感じ始めている感情との間で葛藤している様子が描かれます。自ら祖国を裏切るほどの決心はまだできていない。でも、敵であるのび太が撃って止めてくれるなら祖国に対する義理を立てつつ、人間達を助ける事ができる。それだから、のび太に「撃つぞ」と言われた時、すごく嬉しそうな顔をするんです。
新ドラ版でも義務と感情の間の葛藤が描かれるのは同じですが、その描き方が違います。リルルは義務を果たすべきと考えていて、ピッポは人間側に付くべきと考えていて、リルルとピッポの言葉の応酬で葛藤が表現されます。そして、リルルが「いくじなし!」でのび太に向けて放った光線の前にピッポが割って入り負傷してしまいます。
旧ドラ版のリルルは、自分が犠牲になって全ての問題を解決したいと決意が固まっているのに対して、新ドラ版ではピッポが衝動的にのび太を庇って負傷する。旧ドラ版のリルルの崇高な決意は、新ドラ版のリルル+ピッポの行動よりも一歩先を行っていて、より感動的です。

新旧比較(7):旧ドラ版のラストは映画ドラえもん史上最高の感動シーン
旧ドラ版のラストシーンが映画ドラえもん史上最高といえるほど素晴らしいので紹介したいと思います。藤子・F・不二雄先生の原作漫画の素晴らしさがベースなのは間違いありませんが、旧ドラ版のラストシーンは抜群の演出と抜群の静香の演技(CV:野村道子)によって感動が原作漫画の10倍くらいになっています。まさにアニメの力です。
抜群の演出というのは、ここで悲しみ一辺倒ではなく、#1.悲しみ→#2.喜び→#3.悲しみ、という持ち上げて落とすような演出をしているんですね。具体的に説明します。
リルル「今度生まれ変わったら…天使のようなロボットに…」
静香「リルル…あなたは今…天使になってるわ…」
#1.ここで別れの悲しさに涙を流すも、
静香「2人は…ずっと友達よ」
リルル「お友だち…!」
(握手)
#2.この瞬間、深い悲しみの中にも関わらず、初めて心が通じ合った喜びによりなんと2人に笑顔がこぼれます。
しかし次の瞬間、非情にも突然の別れが。静香と握手しながらリルルの存在が消滅します。
#3.「リルルーー!」静香の慟哭。そしてこの時の野村道子さんの演技がもう迫真過ぎて…(絶句)
新ドラ版を観てこの映画を気に入ったなら、是非旧ドラ版も観てみることをお勧めします。

第25位 (★3.5)「のび太の新魔界大冒険~7人の魔法使い~」:ワクワク・ドキドキの旧ドラ版、感動の押し売りがキモい新ドラ版

本作品は2007年公開、映画ドラえもんの通算27作目(新ドラ2作目)で、1984年公開の映画ドラえもん第5作「魔界大冒険」のリメイクです。

旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較しましたが、演出面も脚本の改変も新ドラ版はセンスが無くて駄目だと思います。
まずは演出面。旧ドラ版の醍醐味である、藤子漫画らしいテンポの良さが全編通して完全に消えてしまっているのがまず1点。それから個別のシーンで特に気になったところを挙げると以下になります。

(1)のび太が駄々をこねるシーン。新ドラ版ののび太は涙と鼻水まで大袈裟に垂らして、クネクネクネクネ「ドラえも〜ん」って…嫌悪感を覚える気持ち悪さです。旧ドラ版ののび太の駄々のこね方はしつこさが無くて、ドラえもんが「仕方がないなぁ、じゃあこの道具で…」って言うとピタッと泣き止むのがお決まりのパターンなのに毎回クスッとさせられる面白さがあります。

(2)のび太ドラえもんのケンカのシーン。新ドラ版ではアッカンベーのみならず、口を横に引っ張ったり、ほっぺたを両側から押したりの変顔の見せ合いがしつこいです。普通、ケンカしてたら相手と関わりたくないのでこんなケンカは不自然です。どうも新ドラ版はこの変顔ってやつが大好きみたいで、事あるごとにこういうしつこい表現を入れてくるんですが、「いないいないばあっ!」等の乳児向け番組ならわかりますが、ドラえもんの視聴者で変顔見て「キャッキャッ」てなる人が居るんでしょうか?新ドラ版の製作者達は、ストーリーを伝える事よりも自分達の描きたい絵を描く事を優先しているからこんな事になってしまうんです。

(3)ジャイアンの表情が不自然で気持ち悪いです。新ドラ版でジャイアンの目のデザインが白目無しのものに変更になり、感情の表現力が格段に低下してしまいました。白目の無いマンガキャラは他にもたくさん居ますが、どうしても表情が乏しくなってしまいます。例えばミッキーマウスは初期は白目無しのデザインでしたが、より豊かな表情を獲得するために白目有りのデザインに変更されました。他にもハンターハンターのゴンも白目が無いために、白目が有るデザインのキルアに比べて表情が乏しく、残念なシーンが沢山あります。新ドラ版のジャイアンは目の表現力を補う為か口や声や身体の動きが大袈裟になり、それでさらに目の表現力の無さが浮き彫りになって非常に不気味です。

(4)ドラえもんが猫の姿の美夜子を見て照れてフニャフニャになるシーン。やり過ぎでキモいです。

脚本も旧ドラ版の方が良いです。具体的な比較は以下の通りです。

新旧比較(1):新ドラ版では話が無駄に複雑化
魔法世界において、地球が魔界星の接近による異常気象、悪魔たちの侵攻による危機に瀕しているのは新旧で共通です。
現実世界の描き方は新旧で異なり、旧ドラ版では現実世界はいつもと変わらぬ平和な世界だったのに対し、新ドラ版では現実世界でも魔法世界と相似して大質量天体接近の危機に瀕している事になっています。満月博士と美夜子は、旧ドラ版では魔法世界にしか存在しない人物だったのに対し、新ドラ版では大質量天体接近の調査をする天文学者として現実世界でも登場します。
この改変によるメリットは個人的には何も無いと思うのですが、強いて言えばのび太の魔法世界での活躍とリンクして、現実世界の大質量天体が軌道を変えて地球衝突回避したようなので、現実世界の地球をも救って誇らしい、ということでしょうか?
魔界大冒険は元々、タイムマシン・もしもボックスを使って時間軸と並行世界を行き来するちょっと複雑な話ですが、初見の子供でも「なるほど、冒頭でドラえもんのび太の石像が空から落ちて来た理由はそうだったのか!」と謎が解ける面白さを感じられるようになっていました。それが今回この改変によって話が無駄に複雑になり、この面白さ・気持ちよさが半減してしまっています。他にも以下の改変が必然性が無く、話を分かりにくくする悪い改変だと思います。
ドラえもんが腹痛を起こして、一瞬だけ未来に行くシーンの追加
・敵が化けた「ニセモノ美夜子」の登場
・月をめぐる攻防の追加。魔界星まで行っておいて、また話が月に戻るという…笑。分かりにくいです。

新旧比較(2):新ドラ版 美夜子の母親という「泣き要素」の追加
新ドラ版では、生き別れになっていた美夜子の母親との再会・別れという、あからさまな泣き要素が追加されています。新ドラ製作者達は視聴者をがっつり泣かせるシーンを入れないと安心できないんでしょうか?このシーンの追加のせいでストーリーが散漫になり、冒険のドキドキ・ワクワク感だとか、ラストのパラレルワールドとの別れの物悲しさが半減していると感じます。

新旧比較(3):新ドラ版 でカットされてしまった「魔界大冒険」なシーン
新ドラ版で追加された様々なシーンの裏で、逆にカットされてしまったシーンも存在します。例えば、
もしもボックスで魔法世界に変えた直後は、のび太が当初望んだような楽しげな魔法世界の描写が旧ドラ版ではありました。BGMも不思議な感じの楽しい音楽に変わって「楽しい魔法世界」を演出してくれます。(このBGMはエンディング主題歌「夢のマジカル」のインストゥルメンタル版です)
魔法世界の様々な描写も(魔法世界のテレビCMとか)旧ドラ版の方が丁寧で、「こんな世界があったらな〜」というドラえもんらしいワクワク感に満ちています。このワクワク感から徐々に、不気味な展開になっていくのが上手いです。
・魔界星に入ってからの冒険シーン、人魚の島とか、巨大な怪魚とか、帰らずの原とかの「魔界大冒険」なシーンがカットされしまいました。
総じて言うと、新ドラ版では旧ドラ版の冒険感・ワクワク感をカットして、無駄に複雑なトリックとあからさまな泣きシーンを追加していて、本当にセンスが無いなと感じます。

新旧比較(4):新ドラ版 美夜子の為に魔界と戦うのか?
新ドラ版で、のび太「僕、頑張るから。一生懸命頑張って、絶対 美夜子さんのパパを助けるから」っていう感動(?)シーンがあるんですけど、別に美夜子の為だけじゃ無くて、地球が危ないから自分達全員の為にこの冒険をしているのを忘れてしまったのでしょうか?新ドラ版の製作者達は、底の浅い甘ったるい優しさを描く事しか頭に無いからこんな事になるんです。

第26位 (★3.5)「新・のび太の宇宙開拓史」:リメイクにより改悪

本作品は2009年公開、映画ドラえもんの通算29作目(新ドラ4作目)で、1981年公開の映画ドラえもん第2作「宇宙開拓史」のリメイクです。

リメイクなので旧ドラ版新ドラ版を両方続けて観て比較してみました。結論から言うと、圧倒的に旧ドラ版の方が良いです。具体的な比較は以下です。

新旧比較(1):旧ドラ版は藤子漫画らしいテンポの良さがある
旧ドラ版は藤子漫画らしいテンポの良さがあり見ていて楽しいのですが、新ドラ版はこの藤子漫画の持ち味が全くと言っていいほど消えてしまっています。個人的にはこの違いが一番大きいです。

新旧比較(1):新ドラ版で新キャラ「モリーナ」が追加された
新ドラ版で新キャラ「モリーナ」が追加されました。そして、このモリーナが7年前、父親のバーンズ博士を宇宙船での事故で目の前で失うシーンが新ドラ版の映画冒頭シーンとなっています。さらに、映画終盤にモリーナが7年ぶりに父親に再開するシーンも追加されています。新ドラ名物・あからさまな泣き要素追加です。
元々この映画の一番の感動ポイントは、ラストの別れのシーンです。のび太達とロップル・クレム兄妹、チャミーが仲良くなり、たくさんの思い出を作ってラストで永遠の別れを迎える。モリーナ父娘という特に思い入れのないキャラの感動の再会(?)シーンが入っているせいでラストの感動が弱まってしまっているのが残念です。

新旧比較(2):新ドラ版の"のび太 vs. ギラーミン"が格好良い一騎討ちに変更
旧ドラ版の新ドラ版の"のび太 vs. ギラーミン"は中途半端なバトルでしたが、新ドラ版の"のび太 vs. ギラーミン"は格好良い一騎討ちに変更されました。実は旧ドラ版映画の原作漫画も一騎討ちなので、むしろ旧ドラ版映画の脚本が何故そうなったのかが謎なんですが、何にせよここは新ドラ版の方が良いです。

新旧比較(3):主題歌の違い
旧ドラ版では、のび太の部屋とコーヤコーヤ星を繋ぐ2つのドアがだんだんと遠ざかっていく中、異次元空間を挟んで別れを惜しむシーンで主題歌「心をゆらして/武田鉄矢」が流れ、その直後にスタッフロールで「ポケットの中に/大山のぶ代」が流れます。
新ドラ版では、異次元空間を挟んで別れを惜しむシーンがほぼカットとなり、主題歌「大切にするよ/柴咲コウ」がスタッフロールで流れます。
ここは断然、旧ドラ版の別れのシーン+主題歌の方が余韻があって良いです。思い出に残る名シーンだと思います。

第27位 (★3.5)「のび太の宇宙英雄記(スペースヒーローズ)」:対象年齢がアンパンマンと同レベルに低下しているが、まあまあ面白い

本作品は2015年公開、映画ドラえもんの通算35作目(新ドラ10作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

シナリオはそれなりに良くできていると思いますが、ギャグとか間の取り方とか緊迫感の無さとか、対象年齢がアンパンマンと大差ないように感じます。
通算35作目の映画で、地球や異世界の危機を救うというお決まりの展開がマンネリ化していますので、途中までの「のび太達は現実の出来事を映画の撮影だと勘違いしている」という展開は新しく感じて面白かったです。できれば最後までこの展開で行ってもらって、映画の撮影と勘違いしたままポックル星の危機を救い、「映画の撮影楽しかったね」で終わって欲しかったです。

第28位 (★3)「のび太の南海大冒険」:もっと「宝探し」して欲しかった

本作品は1998年公開、映画ドラえもんの19作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

藤子・F・不二雄先生は前作「ねじ巻き都市」の原作執筆中に亡くなったため、本作は原作漫画も含めて先生に代わって藤子プロが手がけた最初の作品です。

先生が大好きだったと言われる「宝島」がテーマです。
ドラえもんが好きな子供ならそこそこ楽しめるとは思いますが、せっかく宝島がテーマなのだから、のび太達が宝の地図を手がかりにして、ひみつ道具を駆使して謎を解き危険を乗り越えながら宝に迫って行く、そんなワクワクする宝探しの冒険を観たかったです。
この作品は、のび太達が目標(宝)を目指して進んで行くというより、降りかかった災難に後手後手に対応していく展開で、ちょっと高揚感に欠けるストーリーだと思いました。

ラストバトルの展開もイマイチでした。
改造生物"トラゾウ"を「おしり印のきびだんご」という下剤で倒したり、別の改造生物"サイワニ"をジャイアンが只の「カラオケマイク」で倒したり、Mr.キャッシュに至っては足を滑らせて落下したドラえもんの頭突きを偶然受ける形になりノックアウトされます。幼稚園児が対象ならこれでも十分だと思いますが、小学生を満足させるにはもう少し工夫したひみつ道具の使い方が必要だと思います。

製作が藤子プロになって感じた変化としては、のび太ドラえもんジャイアンスネ夫・静香のそれぞれに活躍の場を意識して用意しているように見えました。
これは良い事ばかりではなく、作品ごとの個性を弱めマンネリ化を加速することに繋がってしまったように思います。

第29位 (★3)「のび太の宇宙漂流記」:寄せ集めで散漫なストーリー

本作品は1999年公開、映画ドラえもんの20作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

ストーリーの流れの中で、のび太達の目的が次々に変わっていくため散漫で高揚感に欠ける印象を受けます。
そもそものび太達の最初の目的は、誤って乗り込むことになったリアン達の宇宙船で地球に送ってもらう事だったのが、地球に帰るために船団に立ち寄る必要があると言うことになり、さらに地球侵略を目論む「独立軍」が登場し、と目的が次々に変わっていきます。
途中、立ち寄った1個目の惑星で金属の蜘蛛に襲われたり、2個目の惑星で枯れ木の化物に地球や家族の幻を見せられて捕らわれそうになるのも、ストーリーの中で特に必然性を感じません。

本作のストーリーの骨子は、のび太達が「漂流船団」の仲間になって「独立軍」と戦うという図式であり、これは映画ドラえもんの超名作「宇宙小戦争」と同じですが、作品の面白さには雲泥の差があります。

前作「南海大冒険」もそうですが、ゲストキャラが多すぎてそれぞれのキャラクターの性格や交流を描けていないのも問題です。ロボットのログと、岩人間のゴロゴロは不必要なキャラだったと思います。ゲストキャラがリアンとフレイヤだけだったら、もう少し感情移入が出来ていたかもしれません。

1999年公開の映画という事で、1999年に大流行したノストラダムスの大予言の”アンゴルモア大王”にストーリーを絡めてるのは面白かったです。

第30位 (★3)「のび太とブリキの迷宮」:ゲストのサピオの性格がサイコパス

本作品は1993年公開、映画ドラえもんの14作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

ゲストキャラのサピオのび太達を強引に自分たちの戦いに巻き込む自分勝手さが鼻につきます。扉を通って地球に帰ろうとしているのび太たちの目の前から扉を奪っておいて「ようこそ勇敢な戦士達!」じゃねーよwww。って言いたくなります。しかも続いて
サピオ「君たちはチャモチャ星の人類を救うため、先ほどの反乱軍と戦うのです」
スネ夫「ママと相談してみましょう」
サピオ「そんな暇は有りません。既にこの島はチャモチャ星に向かっています」
…酷すぎます。
心ある人間なら、他人を自分たちの戦いに巻き込む事に遠慮や後ろめたさを感じなければおかしいです。しかもこの時点でドラえもんは、敵に連れ去られてしまっています。
他の映画ドラえもんのゲストキャラ達は、自分たちの戦いに巻き込む事に遠慮や後ろめたさを感じている描写がありました。
宇宙開拓史のロップルも、魔界大冒険の美夜子も、小宇宙戦争のパピも。大魔境のペコはのび太達に目的を知らせないで誘導したものの、最後の戦いでのび太達に危険が及ぶと、のび太達を置いて自分1人で決着すべく単独で敵に向かいました。
サピオも、ラビリンスの中で迷ってしまった時、扉を使ってのび太と静香ちゃんを地球に送り返してくれますが、既に敵の本拠地に潜入しているジャイアンスネ夫はどうするんだよっていう…。この時ののび太の叫び「ジャイアンスネ夫…ドラえも〜ん!!!」は心からのものだと思います。今日知り合ったサピオより、数年来の大事な友達です。サピオに強引に巻き込まれてこんな事に…本当に気の毒に思います。

他に気になった点や良かった点など。
(1)ロボット反乱軍がドラえもんを捕らえ拷問する場面。ドラえもんに6連撃を加え、ドラえもんが白目を剥いて倒れ、「コンピュータが焼けちゃったみたいです」「こりゃもうどうにもならん」「スクラップとして海にでも捨てちまえ」のシーンはちょっと怖すぎます。
(2)本作のタイトルでもあるラビリンス(地下迷路)。全長184km、これまで何百人も挑戦したけどクリアした人は1人もいない、という大きな前振りをしておきながら、ドラえもんひみつ道具を使って2分で攻略してしまうのはズッコケました。しかも地上へ戻る時は禁断の「通り抜けフープ」で1秒ですwww。
(3)謎が多い序盤から中盤の展開は興味を惹くし、終盤のロボットに支配されてしまったチャモチャ星は理屈抜きでワクワクさせてくれるので、全体的には面白い作品になっていると思います。
(4)エンディング主題歌の「何かきっといい事ある」は、若い頃の島崎和歌子がとても可愛い声で歌う、楽しい雰囲気の歌です。最初から最後まで暗い雰囲気の作品なので、この主題歌を聞いてホッとした気分になります。小学1年生の娘が1回聞いただけで気に入っていました。

第31位 (★3)「のび太の南極カチコチ大冒険」:あまり興奮が無いストーリー

本作品は2017年公開、映画ドラえもんの通算37作目(新ドラ12作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

設定は一応ちゃんとできているんですが、ちょっとわかりにくいです。子供向けである事を考慮すれば、脚本・演出を工夫してもっと分かりやすくするべきだと思います。
ストーリーは、のび太達がカッコいい生き様を見せるようなシーンは無く、その場その場で敵の攻撃に対処するシーンが続くだけであまり興奮がありません。全体的に緊張感も無いため、敵の攻撃がいくら激しくても「どうせ大丈夫だろ」とタカを括ってしまいます。
新ドラ映画で多い、感動の押し付けが無くてサクッと終わる点は良いです。

第32位 (★3)「のび太と銀河超特急」:盛り上がりに欠ける凡作です。

本作品は1996年公開、映画ドラえもんの17作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

この映画は映画ドラえもんの中では凡作です。設備が充実した豪華寝台列車での旅行って…リタイア後の老夫婦の旅行かよ、って言いたくなる位、ワクワク感に欠けます。
列車の目的地は、なんとレジャーランド(笑)。冒険要素ゼロです。映画ドラえもん第3作「のび太の大魔境」で、冒険を渇望するのび太がある夢を見ました。念願の冒険に出かけたと思ったらジャングルの奥地に「秘境ムード満点、アフリカランドへようこそ!」レジャーランドが現れ、のび太が大いに失望するという夢なのですが。この映画ののび太達は普通にレジャーランドで大はしゃぎです。堕ちたもんだなーと思いました。
映画終盤に差し掛かったとき、とってつけたように本映画の敵役が登場。とってつけたように敵を片付けて、エンド。盛り上がりに欠ける凡作です。

あと、この映画については以下のメタ発言のシーンは良くなかったと思います。
のび太「僕たちは、いつもこういう冒険をしてきたんじゃなかった?そのたびに乗り越えてきたじゃない。今度も逃げないでぶつかって行こうよ」
スネ夫のび太って映画になると急にカッコいいこと言うんだから(笑)」
全然面白くない上に、映画のムードや緊張感を損なってしまっていると思いました。

第33位 (★2.5)「のび太のワンニャン時空伝」:旧ドラ最後の作品。倫理観のゆるさが気にならなけらば楽しめる

本作品は2004年公開、映画ドラえもんの25作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

本作は旧ドラ最後の作品です。旧ドラから新ドラへのリニューアルに伴い、翌年(2005年)は映画ドラえもんが始まって以降で初めて映画の公開が無い年となり、翌々年(2006年)に新ドラ版の映画第1作「のび太の恐竜2006」が公開されました。
新ドラへのリニューアルに際しては、声優はもとより作画面でも大きな変化を遂げることになったのですが、この節目に作画に大きく関わったのが渡辺歩です。

第23作(2002年)「ロボット王国」監督:芝山努 / 作画監督:富永貞義
第24作(2003年)「ふしぎ風使い」監督:芝山努 / 作画監督:渡辺歩
第25作(2004年)「ワンニャン時空伝」監督:芝山努 / 作画監督:渡辺歩
第26作(2006年)「のび太の恐竜2006」監督:渡辺歩 / 作画監督小西賢一

前作「ふしぎ風使い」にて、富永貞義が長く務めてきた作画監督の座を渡辺歩が引き継ぎました。デジタル技術の進歩の恩恵もあるのでしょうが、前作「ふしぎ風使い」と本作「ワンニャン時空伝」の作画は絵が一気に数年分進化したようで、非常に良いと思います。しかし、渡辺歩が監督を務めた次作「のび太の恐竜2006」は一転、渡辺歩監督の趣味が悪い意味で炸裂し、グニャグニャしたキモい最悪の作画だと思います。
顔をグニャグニャにして鼻水垂らしながら大量の涙を流すキモい泣き顔も渡辺歩作品の特徴で、それは本作のラストシーン、イチとの最後の別れのシーンののび太にも見られます。ドラえもんの醜悪な怒り顔も好きではないです。

ストーリーに関しては、犬や猫を3億年前に置いてくるというのび太の行為にドン引きしてしまいました。本作が公開された2004年頃には、ブラックバスなどの外来種が日本の在来種の生態系を破壊している問題がかなり一般にも認知されていたので、もう少し考えて欲しかったです。子供向けだし細かいことは問題にならないだろうという製作側の甘い考えが見えます。
「進化退化光線銃」というひみつ道具も倫理的にヤバいと思います。植物に対してならまだしも、動物に対してこの道具を使うなんて考えられません。まあ、この道具を動物に対して使うシーンは「創世日記」と「翼の勇者たち」でもあり、この辺の倫理観がゆるいのは映画ドラえもんではよく見られる光景なのですが笑。
ちなみにこの道具の名前は元々は「進化退化放射線源」でしたが、放射線という言葉のイメージが悪いと考えたのか本作から名称が変わっています。悪いのは「放射線」という名称ではなくこの道具の機能だと思うのですが。

上記に書いたような倫理観のゆるさが気にならなければ、勧善懲悪の分かりやすさ、永い年月を経て再会する感動要素もあるストーリーは楽しめると思います。

第34位 (★2.5)「のび太の創世日記」:傍観者・のび太。何の感動もない作品

本作品は1995年公開、映画ドラえもんの16作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

この作品は、端的に言って面白くないです。この作品ではのび太は「神様」であり、下々の動物や人間を観察したり、たまに人助けをするだけの傍観者の立場で当事者ではありません。映画ドラえもんが面白いのは、のび太達が当事者となって奮闘するからであって、これが傍観者となってしまうと何が起きても「ふーん」としか感じず、何の感動もありませんでした。

シナリオ上、色々と微妙な点も多いです。

(1)そもそも、遊び感覚で第二の宇宙を作ってしまうという感覚がおかしいです。自分の手で数えきれない程の生命を生み出すなんて、とてもじゃないけど畏れ多くてできないのが普通の感覚だと思います。自分の手で生命を生み出すシーンはドラえもんだとよく見られるシーンだし、子供向けなので深く考えないのが正解なんでしょうが…。

(2)宇宙の始まりの「ビッグ・バン」から始めて、たまたま太陽系の地球にそっくりの惑星ができ、たまたま生命が地球と同じように発生し、たまたま生命が地球と同じように進化し人類が生まれ、たまたま地球の人類と同じような歴史を歩み…って、いくら何でもたまたまが過ぎます。地球の歴史を辿るストーリーにしたかったなら、素直にタイムマシンを使った方が良かったのでは無いでしょうか。

(3)のび太が「虫ばかりの世界なんて嫌だ」というふざけた動機で古代の魚「ユーステノプテロン」に「進化退化放射線源」を使って進化を促進するシーン。ひとたび生命が生まれたなら、その生命は神の自由にして良い物ではありません。生命を弄んでいるようなこのシーンには不快感を感じました。

(4)のび太の箱庭宇宙の中で生まれた昆虫人間が、タイムマシンを発明するのみならず、事もなげに箱庭宇宙からのび太達の世界に侵入して来るのは、普通に考えたらいくら何でも無理でしょう。魔界大冒険のメデューサや、パラレル西遊記の妖怪達のように、のび太達が行き来しているルートを使って侵入してくるのなら納得感がありますが…。

(5)ドラえもん「それにしても飛行船てのはじれったい乗り物だねぇ」→「ゴーゴーカザグルマ」で飛行船を加速させるシーン。箱庭宇宙の中で一生懸命に生きている人をリスペクトする気持ちは、無いんですかね…。

第35位 (★2.5)「のび太と雲の王国」:これは酷い。環境問題に傾倒してしまった藤子・F・不二雄先生謹製の駄作

本作品は1992年公開、映画ドラえもんの13作目です。新ドラ版でまだリメイクがされていない作品です。

この作品は、観客の子供を楽しませる事よりも、人間による自然環境破壊問題に対する啓発の方に傾倒してしまった残念な作品です。前々作の「アニマルプラネット」にもその傾向がありましたが、その度合いが更に酷くなっています。
その環境問題へのメッセージ自体も子供騙しレベルで、アニマルプラネットの時から少しも発展しておらず、どうしてまたこういう作品を作ったのか理解に苦しみます。

シナリオも微妙です。
まず、やたらとゲストキャラクターが多いです。天上人の女の子パルパル、無人島で父親と祖父と共にノア計画に巻き込まれた少年タガロ、「ドンジャラ村のホイ」の小人達、「さらばキー坊」のキー坊、「モアよドードーよ永遠に」のモアとドードー。どのゲストキャラとも交流も中途半端であるため、他の映画ドラえもんのようにラストの別れの物悲しさも味わえません。
また、のび太達5人の友情も上手く描けておらず、天上界からの脱走中に5人が離れ離れになった時もお互いを心配するような描写が無いし、ジャイアンスネ夫に至っては、静香ちゃんを天上界に残したまま再び脱走を企てます…。
地上世界が「ノア計画」で滅んだり、ドラえもんの雲の王国と天上人の天上連邦が、アメリカとソ連の東西対立も真っ青なガチの戦争を始めたり、最後ドラえもん自身がありえない運動能力でミサイルとなって頭突きでタンクを破壊したり、同人誌の悪ふざけとしか思えないような展開の連続には開いた口が塞がりませんでした。
地上世界が滅んだ後、ニッコニコ顔でどら焼きとお茶を食べてるドラえもんにも違和感があります。
全体的に劇場版作品とは思えないくらい雑なシナリオで、鑑賞している間、「自分は今、現実の映画ドラえもん作品ではなく悪夢を見ているのではないか?」という疑いが頭から離れませんでした。
Wikipediaによると藤子・F・不二雄先生の体調不良のためコロコロコミックへの映画原作の連載のラスト2回が出来なかったようなので、その事が原因でこのような酷い作品になってしまったのかも知れません。

なお、本作品には環境問題のメッセージの他にも以下のように核兵器に対するメッセージも隠されていると思います。
(1)無人島での「大雨兵器」の実験→ビキニ環礁の核実験
(2)「雲戻しガス」の大砲の発射スイッチ→核兵器発の発射スイッチ
(3)「大雨兵器」vs.「雲戻しガス」による睨み合い→核抑止
ただ、これによって核兵器に対するどういうメッセージを伝えたかったのかが全く分かりません。なにせ、ドラえもんが自ら雲の王国に核兵器(雲戻しガス)を配備して、相手国を脅している訳ですから…。

旧約聖書創世神話ノアの方舟新約聖書最後の審判などを、物語のモチーフとして軽率に利用しているのも嫌悪感を覚えました。とにかく悪い点を挙げればキリが無いほど酷い作品です。

第36位 (★2)「のび太の人魚大海戦」:ソフィアが可愛いだけの映画

本作品は2010年公開、映画ドラえもんの通算30作目(新ドラ5作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

人魚族の姫・ソフィアのキャラデザが可愛いだけの映画です。以下、ポイント別に感想を書きました。

(1)ドラえもんの「あたたかい目」
映画ドラえもん恒例、のび太の「どらえも〜ん」タイトルコールのところでドラえもんの変顔「あたたかい目」が出ます。新ドラ映画1作目「のび太の恐竜2006」で初登場したこの変顔、つまらないのに新ドラ映画では結構な頻度で登場しますね。まさか面白いと思ってやっているんでしょうか?

(2)序盤は面白い
序盤は面白いです。まあ、単行本41巻収録作品「深夜の町は海の底」そのまんまのようですが。

(3)トンデモ科学
ソフィア「私たちの故郷の星を(夜の星空の中から)探したい」→「(人魚族の故郷である)アクア星と4つの月を結ぶと五角形になる」→「五角形の星座といえば『ぎょしゃ座』だ」っていうくだりがあるんですが、、、わざわざ指摘するのも恥ずかしいですが、夜の星空で輝いているのは全て恒星です。アクア星は生き物が住める環境なのだから当然惑星の筈です。だから『ぎょしゃ座』がアクア星である筈がないです。こんなの、「宇宙のひみつ」みたいな本を1回読んだだけの小学生でも分かる事です。視聴者として見ているだけでも「や、やめて…」って言いたくなる位恥ずかしいです。
しかもまだ続きがあって、「『ぎょしゃ座』は冬の星座だから、今は季節が夏だから見えないよ」→「南半球は冬だから、南半球に行けば見れるはず!」でどこでもドアで南半球に行くんですが、これも科学的におかしいです。『ぎょしゃ座』が冬の星座と言われるのは、地球の公転位置が(北半球の)冬のときしか見られない、つまり季節の問題ではなくて公転位置の問題なので、どこでもドアで南半球に行っても解決しません。でもこれ、結局スネ夫が「星がたくさんあってどれが『ぎょしゃ座』か分からないし、寒いからもう帰ろうよ」とか言い出して、そのまま『ぎょしゃ座』を探すのを諦めるという、「何だそれ!?」的な不自然な展開になるので、おそらく製作者もこの科学的誤りに気付いていて、こんなテキトーな展開にして誤魔化したのでしょう。
映画作りは1秒1秒が勝負です。本来ならこの部分の脚本を考え直すべきでしょう。本作の制作者たちの映画作りに対するテキトーな姿勢が窺い知れます。それに、「科学知識が楽しく学べる」のは映画ドラえもんが代々大切にしてきたテーマでもあるので、そういう意味でも残念です。

(4)しずかちゃんの命の危険に関わらず心配しないのび太
しずかちゃんが海底で迷子になるという命に関わる一大事なのに、どこか本気で心配していないように見えるのび太達。すごく違和感があります。これも、脚本通りにただストーリーを進めることしか制作者が考えていないから、こんな雑な仕上がりになるんです。

(5)不自然な感動(?)シーン
作戦会議の場で、
女王「でも、これだけは忘れないで。あなたを誰よりも愛してます」
ソフィア「おばあさま!私もです!私もおばあさまが大好きです!」
一同涙、感動BGM。
っていう感動(?)シーンがあるんですが、こういうの公衆の面前でやりますかね?
作戦会議の場では責務を全うするために女王はソフィアに辛く当たる、でもそのあと部屋で2人になったとき「ごめんなさいね」で静かに抱きしめる。たとえばこういう風にした方が、静かで自然な感動があると思うんですが。
一同が涙している描写と感動BGMで無理やり視聴者を泣かせようとするのは感動の押し売りです。日本のテレビの醜悪な文化・ワイプ芸に通じるものを感じます。

(6)伝説の剣の力で海の水がきれいになった!感動?
ラストは、伝説の剣の力で海の水がきれいになった!感動?っていう感じにストーリーが持っていかれるんですが、唐突感が否めません。
海が汚染されているのを何とかしよう」と言う事を目指した冒険では無くて、たまたま伝説の剣にそういう力が備わっていただけで、感動のラストシーンみたいにBGM流されても白けます。

第37位 (★2)「のび太と奇跡の島 アニマルアドベンチャー」:シナリオが雑すぎて悪夢を見ているよう

本作品は2012年公開、映画ドラえもんの通算32作目(新ドラ7作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

全体的にシナリオの作り込みの甘さが目立つ作品です。特に無理やり差し込まれたような感動シーンがキモいです。

のび太パパ「のび太の事を考えるとねぇ、いつもここ(心)があったかくなるんだ」ママ「そう あたたかくなるわ」
のび太「パパとママの事を考えると、いっつもここ(心)があったかくなるんだ」
いちいちこんな事をクサいセリフで言われても白けるし、こういうセリフを言わせるためのシーンの作り込みができていないので不自然でキモい仕上がりになっています。

のび太くらいの年頃の子供って、親を疎ましく思う方が自然なのではないでしょうか?それは親への愛情が無いという事ではなく、「僕らの自由も認めてくれよ」という気持ちです。映画ドラえもんシリーズでは、一貫して子供達のそういう気持ちに寄り添ってきました。
まず、(たぶん全ての作品で)親に秘密にして子供達だけの大冒険に出かけます。楽しい冒険中は親のことなんて思い出しもしません。まあ、ピンチに陥るとスネ夫を中心に「ママ〜!!」なんて叫んだりしますが(笑)。そして、大冒険から普段の生活に戻った時、冒険の思い出に浸りつつ、親に守られた生活のありがたさをしみじみと感じる。これです。
この気持ちを最も上手く表現したのが「パラレル西遊記」です。この作品のラストシーンでは、普段の生活に戻った安心感から のび太はママに「ママ〜!」と抱きついてしまいますが、その前に恐怖の冒険があればこそのシーンであり、とても心を動かされます。それに比べるとこの映画の親子愛の描き方のレベルの低いこと…。

映画ドラえもんは毎年作るわけだし、毎回無理に感動作品にする必要は無いと思います。実際、新ドラ第8作「ドラえもん のび太ひみつ道具博物館」は「感動シーン」無しでエンタメに徹した楽しい作品に仕上がっています。この作品もそういう割り切りができたらもう少しまともになっていたかもしれません。

他に気になった点を以下に挙げてみました。

(1)スピリチュアルな世界観がドラえもんとアンマッチ:
>ベレーガモンド島は6500万年前、地球にたくさんの隕石が落ちてきたときにできた島で、隕石と一緒に降り注いだ宇宙パワーによって、不思議な力で守られるようになった。それは6500万年前からこの島で生き続けている黄金のカブトムシ・ゴールデンヘラクレスの力。あらゆる生き物の生命エネルギーを高める力があり、それに目をつけた科学者達が絶滅動物達を連れてきて保護することにした。
って、スピリチュアルな世界観がドラえもんとマッチしていません。ポケモンかよ。

(2)絶滅動物たちの泣き声:
ドードーの泣き声「ドー・ドー」
モアの泣き声「モア・モア」
って、ポケモンかよ!
実在の動物の生態を無視して、ただひたすら可愛いだけのキャラに仕立ててしまうのは、その動物に対する尊敬の念を欠いているし、何でも自分の都合の良いように物事を認知する心の在り方が醜悪です。テレビ番組の志村動物園で多用されていた、動物の歩く姿に「ピョコピョコ」というSEを当てる悪趣味な編集に通じるものがあります。子供たちには、こういう作品を観る事でこういう価値観に感化されて欲しくないです。

(3)種の絶滅は全て防ぐべきというのは短絡的:
この作品においては、どうも種の絶滅は全て良くない事で防ぐべきであるというニュアンスを感じます。人間による乱獲や環境変化による絶滅は防ぐべきと言えるかも知れませんが、自然淘汰による絶滅も含めて「絶滅は防ぐべき」というのはあまりに短絡的な考え方です。

(4)ゴールデンヘラクレスの力が遮断されたら島の動物たちが弱っていくのは何故?:
ゴールデンヘラクレスの力が遮断されたら島の動物たちが弱っていくのは何故なんでしょう?意味不明だし、そんなスピリチュアルな力の助けがないと生きていけないような種は絶滅してもらって構わないです(笑)

(5)金のバットは何なんだ、静香の応援は何なんだ?:
金のバットをジャイアンがフルスイングしてドラえもんを遠くに飛ばすシーン、金のバットはひみつ道具なんでしょうか?正直意味が分かりません。
ラスボスとのバトルで静香の役割は「がんばれ がんばれ のび太さん」とただ応援すること?正直意味が分かりません。ラスボスとのバトルでこの緊張感の無さって、、、昔の映画ドラえもんは小学校高学年、場合によっては大人の鑑賞にも耐えるくらいに思えるのですが、本作の対象年齢は幼稚園児でしょうか?

(6)シナリオの作り込みが雑:
全体的にシナリオの運びが雑です。大きなカブトムシを手に入れようとしてモアを捕まえちゃうとか、「(モアは)絶滅するのは可哀想だから、別の島に逃したい」とか(個体と種の絶滅は別問題でしょう)、ノビ助をただの手違いで島に連れてきちゃうとか。雑な展開でつなぎ合わされたシーンをボケーっと眺めさせられている形になり、この映画を見ているとそのまま若年性認知症を発症するんでは無いかと怖くなります。長い悪夢を見ているようです。

(7)ドラゴンボールのオマージュ?(笑):
スネ夫「ドラえも〜ん、みんな〜、早く来てくれ〜!」の後にノビ助役の野沢雅子のセリフは、ドラゴンボール孫悟空にしか聞こえませんでした笑。本作で唯一面白かったシーンです。

第38位 (★2)「のび太の宝島」:同調圧力で押し切る展開では感動できない

本作品は2018年公開、映画ドラえもんの通算38作目(新ドラ13作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

ラストシーンでのび太達が大量の涙と鼻水を流しながら、感動BGMが流れるので感動させたい話だという事は分かるのですが、設定が無駄に複雑な上に破綻しており、共感するのが難しいです。突っ込みどころはたくさんあるんですが、とりあえず3つだけ。

(1)「クイズ」とかいうロボットのオウムがうざいです。緊迫した場面でもコイツが入ると強制的になぞなぞが始まってしまい流れが切れるし、声も甲高くて不快です

(2)親子でキーボード早打ち対決でアタック25みたいな画面エフェクトが出るラストバトルが意味不明すぎて滑稽に思えてしまいました。もう少しまともな脚本・演出を考えて欲しかったです。

(3)ラストの感動シーン(?)、これでいいのでしょうか?
のび太「親子なのに、パパと争うなんて、僕だったら悲しいから!」(大量涙)
フロック「父さん、もう止めようよ!」
ローラ「一緒にあのお家に帰ろう!」
(略)
フロック「僕は…パパの子供なんだから〜!!」
(一同、号泣)
同調圧力で押し切るこの展開が嫌いです。

第39位 (★2)「のび太の新恐竜」:駄作。

本作品は2020年公開、映画ドラえもんの通算40作目(新ドラ15作目)で、リメイクでは無い完全新作です。

「宝島」と同じ感想になるんですが、複雑で込み入った設定を作らなくてもいいので、観客がのび太達と気持ちをひとつにして楽しんだり、悲しんだりできる脚本にして欲しいです。
航時法に抵触してタイムパトロールに逮捕されるような犯罪行為を、「だって可哀想だから!!!」みたいな筋の通らない理由で押し通そうとするのび太にはどうしても共感できませんでした。「宝島」のラストで「親子なのに、パパと争うなんて、僕だったら悲しいから!」と絶叫・号泣しているのび太と完全に重なりました。
本作と「宝島」の監督・脚本は同じで、監督:今井一暁、脚本:川村元気 です。
なお、のび太がタイムパトロールに逮捕されなかった理由はいくら考えても納得いく答えが見つかりませんでした。

第40位 (★1.5)「のび太の恐竜2006」:オタク臭い製作者達が観客そっちのけで趣味に走ったキモい作品

本作品は2006年公開、映画ドラえもんの通算26作目(新ドラ1作目)で、1980年公開の映画ドラえもん第1作「のび太の恐竜」のリメイクです。

旧ドラ版新ドラ版のストーリー上の違いは、密猟者とのバトルの内容が結構違うのと、密猟者とのバトル後の日本への帰り方が違うだけで、それ以外のエピソードはほぼ同じです。個人的にはストーリー上の違い(密猟者とのバトル内容、日本への帰り方)はどちらでも良いのですが、新ドラ版の演出の低レベルさは到底許容できるものではありませんでした。同じエピソードでも演出の違いでここまで違うものになるという事を、この新旧比較で学ばせてもらいました。
旧ドラ版がすごく優れているという訳では無いです。絵は時代相応のクオリティだし、全体的に間延びしているように感じるし、改良できそうなシーンもたくさんあります。でも、製作者がちゃんと観客にストーリーを伝えるために映画を製作している。
対して新ドラ版は、製作者たちが観客そっちのけで自分たちの描きたい絵を描いているため、肝心のストーリーが正しく伝わってきません。

Web上で、本作の監督・渡辺歩と、作画監督小西賢一のインタビュー記事を見つけたんですけど、、、

―― のび太たちが2度目に原始時代に行ったシーンが、相当かっとんでいましたよね。たぶん宮澤(康紀)さんの原画だろうと思うんですけど。
小西 そのとおりです(笑)。
渡辺 ピンポーン!
―― あのかっとびかたは、OKなんですね。
小西 いや微妙でした(笑)。作監としては、ですけど。
―― 微妙ですか(笑)。あれはかっとび過ぎですか。
小西 だって、いちばん目立ってたでしょ。
―― 凄く目立っていましたよ。
小西 橋本晋治さんより目立ってたでしょ(笑)。
渡辺 (笑)。
(略)
小西 ただ、宮澤さんに頼んでるというのは、どういう事かという事です。原画を直して宮澤さんの個性を消してしまうのか、それとも生かすのかとの二択じゃないですか。そう思うと、宮澤さんにやってもらったからには、やっぱり生かそうという事になるんですよ。微妙、とか言っちゃいましたけど、やっぱり発想は凄いし、上がりがくるたびに、思わずほおが緩んでしまう、という感じで楽しかったです。
(略)
―― そういえば、砂浜からのび太たちが出てくる時に、不思議な現象が起きていましたよね。最初に観た時は何が起こっているのか、全く分からなかった(笑)。
渡辺 (笑)。
―― あれは、なぜか砂が、その下にいるキャラクターの顔の形になっているんですね。
小西 そうそう。なぜか同じになっている(笑)。
―― あれは別に『ドラえもん』のひみつ道具の力とかじゃないんですね。
渡辺 違います。我々スタッフ間では、あれは「宮澤ワールド」と呼ばれていました。
―― 『(劇場版)xxxHOLiC(真夏ノ夜ノ夢)』に続き、またも宮澤ワールドが炸裂(笑)。

、、、キモい。ジブリ宮崎駿監督がよく「オタクは駄目だ」みたいな事を言っていますが、この人たちはまさにその駄目なタイプのオタクだと思います。他人を思いやる事を知らず、自分たちのことばかり。のび太達がその時どういう心理状態で、どういう意志を持っているのか、それゆえ表情や身体の動きがどのようになるのか、観客がその絵をみた時に状況が正しく伝わるのか、そういう事を真剣に考える事をせず、「原画担当の個性が出ていて面白い」なんて内輪でキャッキャと盛り上がってる。このような人達の手にドラえもんが渡ってしまった事を非常に残念に思います。

最後に、具体的に気になった所を一部挙げてみます。

(1)タイムマシン航行中に密猟者に追いかけられるシーン。これは絶対にシリアスに描かなければならないシーンです。にも関わらず、風圧で顔の皮がよれる余計なコメディを入れる事で緊張感が損なわれています。また、この時ピー助が吹き飛ばされそうになるんですが、この時のび太が全然危機感の無い顔をしています。ピー助を大事に思っているならもっと慌てふためきながら必死に助けようとしないとおかしいです。
(2)夜、ティラノサウルスが出てきて襲われかけるシーン。旧ドラ版ではティラノが焚き火にびっくりして去っていったというシーンの本来の意味がしっかり伝わってくるのですが、この新ドラ版ではシーンの意味が全く伝わって来ず、意味不明なシーンになってしまっています。きっと「より恐怖感を出すためにティラノのよだれが焚き火の上にジュッと落ちるようにしよう」「のび太達がアタフタ、コミカルに転げ回る絵を書いたら面白いだろうなー」(ちっとも面白くねぇよ!)とか考えているうちに、本来のシーンの意味を忘れてしまったのでしょうね笑
(3)超大型恐竜の足元で踏み潰されないように気をつけなければならない状況で、ジャイアンが危機感無く特になんの意味もなく仰向けに寝転がっているのは何を表現したいのでしょう?
(4)タケコプターで峡谷を飛行中、翼竜に追いかけられて逃げている最中にジャイアンタケコプターが故障し落下してしまうのをのび太が助ける重要なシーン。流れの中で一瞬であっさり助けてしまうので全然印象に残りません。タケコプターの調子が悪い様子をつまらないコメディ描写するのを止めて、代わりにジャイアンの危機、のび太の勇気をしっかりと描くべきです。
(5)激流の中での密猟者とのバトルシーン。ここもシリアスに描かなければならない部分なのに、粘着弾がくっついた密猟者やスネ夫の顔が餅みたいにびよーんと伸びるつまらないコメディのために緊張感が損なわれています。
(6)滝からのび太ドラえもんとピー助が落下するシーン。落下しながらドラえもんが「何とかお守り」を出して助かるんですが、何回聞き直しても道具の名前が聞き取れません。滝の高さも過剰演出で高くし過ぎてしまって、ひみつ道具の効果が無かったらあんな高さから落ちたら確実に死にます。バランスを考えて欲しいものです。
(7)密猟者との最後のバトルシーン。一体何が起きたのか分かりません。密猟者は勝手に自滅、のび太達は運良く助かったという事でしょうか。もうちょっと分かりやすく見せてくれないとハラハラドキドキもできず、ただポカーンと見ている事しかできません。大迫力の洞窟崩壊&大濁流を描く事しか頭に無かったのでしょうか。
(8)ピー助との別れのシーン。ピー助は仲間に会えて嬉しそうにしています。ピー助を愛しているなら、のび太は「ピー助、仲間に会えて良かったな、元気でな!」と満面の笑みでピー助に別れの挨拶をして、背中を向けてから一筋の涙がこぼれる、となるべき所です。ところがこの作品では、ピー助が仲間に会えて喜んでいるのには全く目を向けず、自分勝手な感情で醜く泣き喚き、またまた余計なコメディタッチで七転八倒するのび太ドラえもんジャイアンスネ夫・静香も大袈裟に顔をぐちゃぐちゃにして1リットル位涙をこぼして号泣。キモい。視聴者の感情を追い越してキャラが過剰な演技をしたら、視聴者がドッチラケになるという事が、製作者は何故分からないのか?

第41位 (★1)「のび太と緑の巨人伝」:駄作中の駄作。悪夢。最後まで観るのは苦行です

本作品は2008年公開、映画ドラえもんの通算28作目(新ドラ3作目)で、旧ドラのリメイクではなく完全新作です。

駄作中の駄作です。上映時間112分、我慢して最後まで観ましたが本当に苦行でした。長い悪夢を見ているようで頭がおかしくなりそうです。

(1)終始、何が起きているのか分からない:
今、地球にいるのか緑の星(?)にいるのか、敵(植物型人間)の目的・理由・手段は何か、のび太達は今何をしたいのか(キー坊を見つけたいのか、地球に帰りたいのか、敵の計画を阻止したいのか)、等々の見せ方が全くできておらず、視聴者が全く物語に入り込めません。それでいて、無理やり「感動のラスト」に持ち込もうとする魂胆が見えて白けます。

(2)ドラえもんひみつ道具が活躍しない:
序盤でひみつ道具のほとんど全てをドラミに預けてしまうため、ドラえもんひみつ道具が活躍しません。それで面白くなっていれば何も文句はありませんが、悪夢レベルのつまらなさです。

(3)キモいグニャグニャ作画:
前々作「のび太の恐竜2006」と同じく、渡辺歩監督のグニャグニャ作画がキモいです。加えて、脚本がクソすぎてシーンに必然性が感じられないため、製作者が描きたかった絵を次々に脈絡もなく見せるオナニーに付き合わされているような気分になります。

(4)主題歌だけは良い:
エンディング主題歌「手をつなごう/絢香」は良い曲です。幸いな事に歌詞は本作とあまりシンクロしていないので、本作との関わりは早く忘れてあげましょう。

書こうと思えばもっと色々と本作のダメな所を書けると思うのですが、もうこれ以上この作品のことを考えるのも嫌なのでこれで終わりにします。

映画ドラえもんは旧ドラ(初期・中期・後期)・新ドラ期に分けられる

映画ドラえもんを全作品一気に観て、私は映画ドラえもんの製作時期を次の4つに分類して捉えています。

(1) 旧ドラ初期は、名作が圧倒的に集中している黄金期です。私の評価結果の第1位から第5位までもがこの時期に集中しています。それほどに圧倒的に映画ドラえもんが面白かった時期です。

(2) 旧ドラ中期は、のび太たちが大冒険に出かけて何らかの危険を乗り越え最後は普通の生活に戻ってハッピーエンドという、映画ドラえもんのフォーマットにマンネリが感じられるようになった「日本誕生」から、藤子・F・不二雄先生の遺作となった「ねじ巻き」までとしました。
この時期は作品毎の振れ幅が非常に大きいのが特徴です。例を挙げると「創世日記」というシリーズ内でも屈指の異色の作品の次に「銀河超特急」というエンタメに特化したような作品が来たりします。原作漫画の連載を開始するときに物語全体のプロットが定まっておらず、締め切りに追われながら自転車操業のように展開を考えながら描くという事もやっていたようで、「ブリキの迷宮」などは明らかに物語の着地点に迷っている様子が伝わってきます。この頃の藤子・F・不二雄先生は、製作の楽しみよりも苦しみの方が圧倒的に大きかったのではないでしょうか。
通常の短編であれば単なるギャグで「チャンチャン♫」で終了できても、映画の場合はそれなりの話の盛り上がりと手応えのあるオチを作らなくてはなりません。藤子・F・不二雄先生は自ら「僕は短編作家なので(映画は書けない)」といって最初は映画製作に乗り気では無かったらしいのですが、残念ながらその言葉が現実になってしまっています。それでも、ここまでにたくさんの名作を生み出したのだから十分凄いのですが。
製作側の立場に立てば、映画化したいアイデアが出てきてから映画の製作を始めるべきだと思うのですが、幸か不幸か映画ドラえもんは第1作目から大ヒットして毎年の恒例行事化してしまった。こうなるともう、そんな事は言っていられません。結果、藤子・F・不二雄先生はその生涯の最後の方の大部分を「映画ドラえもん」の奴隷のように過ごすことになってしまった、私はそう見ています。映画を観ていても非常に胸が締め付けられます、単なる私の思い過ごしだったら良いのですが。

(3) 旧ドラ後期は、藤子・F・不二雄先生の没後、大山のぶ代さんがドラえもんの役を務めた旧ドラ体制でアニメが製作された時期までとしました。
この時期の作品の特徴は、判で押したように「映画ドラえもんフォーマット」に大人しく収まっている事です。(2) 旧ドラ中期は藤子・F・不二雄先生本人がこのフォーマットを破ろうと苦心しながらも努力していたため、先生の優しい人柄のイメージとは逆に過激な作品が多かったのですが、そのようなチャレンジは原作者本人だからこそできたのかも知れません。先生が亡くなった後で藤子プロのスタッフが作った作品が、みんなの期待するドラえもんのイメージから外れていたら「こんなのドラえもんじゃない!」というバッシングを受けることは容易に想像ができます。そういう意味でこの時期のスタッフは大変だったと思います。なお、旧ドラ映画は最後まで監督が芝山努さんで変わらなかった事も、作品毎の個性が乏しい一因となったのかも知れません。

(4) 新ドラ期は、水田わさびさんがドラえもんの役を務める新ドラ体制以後の時期としました。
この時期以降は、監督以下のスタッフが固定では無くなったため(声優以外)、監督を中心としたスタッフの影響で毎回作風が変わるのが特徴です。よく見るとキャラデザも結構変わっています。
そんな中にあっても、なぜか感動の押し売りという残念な特徴は多くの作品に共通して見られます。

映画ドラえもんよりも面白い作品はたくさんある

映画ドラえもんを全作品見て分かった事は、(残念ながら)駄作が多い!という事です。
私の評価の基準は、観てよかったと思えたものを★4で、観ない方が良かったと思えたものを★3.5以下としています。
この基準で評価をしたところ、全作品の半数以上が★3.5以下「観ない方が良かった」という評価になってしまいました。実際、全作品を観る作業はかなり辛く、途中で何度も挫けそうになりました。私はもうアラフォーのおじさんなのでドラえもん大好きな子供の立場で考えると評価は全然変わってくると思いますが、それを差し引いてもちょっと駄作が多いのではないでしょうか。
大人の場合は言わずもがなですが、子供向け映画でも選択肢はたくさんあります。
ドラえもんというキャラへの愛情を一旦置いて映画を選んだら、代わりにもっと素敵な映画に出会えるかも知れません。
個人的には、映画ドラえもんは4年に1回くらいで良いのでもっと品質を上げて欲しいと思います。商業上、なかなかそうは行かないのだと思いますが。

タイムズカーシェア、楽天カーシェア、トヨタレンタカー料金簡易比較

我が家では数年前に自家用車を手放し、基本的に電車・バス・タクシーで生活しているが、旅行やちょっとしたお出かけなどで車が必要になったときは、カーシェアかレンタカーを利用している。
家から近く、利用経験があるのは次の3つ。

トヨタレンタカー
・タイムズカーシェア
楽天カーシェア

トヨタレンタカーは一番頻繁に利用している。車の受け取り時も返却時も従業員が対応してくれるので、分からないことや不測の事態があったら対応してもらえる安心感がある。欠点は、車の受け取りも返却も、店舗の営業時間内(8:00-20:00)に限定されること。早朝に出発したいときは前日受け取り、帰りが夜遅くなるときは翌日返却となり無駄が発生する。

タイムズカーシェアは、夜間や早朝でも関係なく車の受け取り・返却ができるのが便利。ただし入会時に会員カードの発行に1650円の手数料がかかり、1ヶ月のうちに一度も利用しなくても月額880円が課金されるのが欠点。休会制度は無く、月額課金を止めるためには退会する必要がある。退会済みの会員カードは再入会時に利用できないため、一度も利用しない月があると無駄が発生する。我が家は一度入会して使ってみたが、数ヶ月に1回ペースの利用頻度のためにすぐに退会してそれ以来利用していない。

楽天カーシェアは、タイムズカーシェアの利点に加え、月額基本料金が無料のために利用頻度が低くても無駄な課金が発生しないのが良い。欠点は利用料がタイムズカーシェアに比べて割高なこと。

トヨタレンタカーと楽天カーシェアの使い分けは「短時間なら楽天カーシェア、半日以上の場合はトヨタレンタカー」としているが、ちゃんと計算するとどうなるか?次回利用時に備えて計算してみることにした。退会済みのタイムズカーシェアも比較対象に加えた。

【比較条件】
・車両クラスは一番小型で安いやつとする。車両名で言うとヴィッツ(ヤリス)やフィットなどで、荷物室は小さめだが4人が乗れる
・車両を傷つけてしまったときの「あんしん補償」は、「免責額免除とNOC(ノン・オペレーション・チャージ:修理中に車両をレンタルできなくなることに対する賠償)免除」をつける
・距離料金(燃料代)は計算外とする。なお、タイムズも楽天も6h以上の利用の場合に限り距離料金(燃料代)が課金され、料金はタイムズは16円/km、楽天は18円/km。
・タイムズと楽天は「ナイトパック」なるプランがある(料金はタイムズが2640円、楽天が2600円)が、通常のデイタイムの料金で計算する

【結果】
結果を次のグラフに示す。

・12時間までの短時間利用の場合、カーシェア勢がお得。楽天の方がタイムズよりも料金が割高だが差は小さく、最大で650円。
・12時間から24時間までの中時間利用の場合、タイムズがお得。24時間利用の場合の料金は安い順でタイムズが6930円、楽天が8600円、トヨタが8800円。
・24時間以上の長時間利用の場合、タイムズが圧倒的にお得で、楽天トヨタは互角。84時間(3日と12時間)利用の場合の料金は安い順でタイムズが20130円、トヨタが31900円、楽天が32280円。

【備考】
・「あんしん補償」料金がそれぞれ、トヨタは1650円/24h、タイムズは330円/回、楽天は0円。トヨタがかなり割高のため、「あんしん補償」なし条件で借りる場合は今回の比較よりもかなりトヨタ有利になる。
楽天カーシェアは予約時に入力した時間数に対して課金されるため、返却予定時刻よりも早く返却すると無駄課金が発生する。タイムズは実際に返却した時点で課金が停止するので無駄課金が発生しない。この差は1回あたり30分から数時間に相当するためかなり大きい。タイムズの課金システムの場合は、渋滞考慮+アルファの余裕を持って返却時刻を設定することができるので、返却予定時刻超過となるリスクが大きく軽減されるので精神衛生上も非常によろしい。
・カーシェア勢はカギの閉じ込みなどの操作ミスで数万円クラスのペナルティ(罰金)を課せられるリスクがある。レンタカーは車の受け取り時も返却時も従業員が対応してくれるので、分からないことや不測の事態があったら対応してもらえる安心感がある。
・カーシェア勢は、前の利用者が車に傷をつけたり座席を汚したまま返却した場合にかなり困ったことになると思われる。大事な予定の場合はレンタカーを使いたい。

【私の結論】
短時間利用においてカーシェア勢が安いのは予想の通りだったが、長時間利用においてもタイムズがトヨタレンタカーを圧倒する安さなのは意外だった。
数ヶ月に1回の利用頻度の場合、「短時間なら楽天カーシェア、半日以上の場合はトヨタレンタカー」で間違っていないが、短時間利用・長時間利用いずれにおいてもタイムズはかなり格安。カード再発行手数料の1650円の元はすぐに取れるので、再入会の手間さえ惜しまなければタイムズを使うのが良い。

【参考】
グラフ描画のために作成したスプレッドシート(いわゆるGoogleのエクセル)のスクショを参考に載せておく。こういうグラフは「区分線形関数」とでもいうのだろうか?変節点さえプロットすればグラフになるが、今回のグラフは複数系列があり、それぞれの変節点のx軸座標が異なるのが厄介だった。いずれかの系列で変節点となるx軸座標については、すべての系列についてy軸座標を求めて表に記入する必要がある。「区分線形関数」なので、x軸の値に応じてy軸の値を求める数式が変化していくが、数式の取り違えを防ぐためにセルの背景色で一目で区別できるようにしたのが工夫点。



この世に地獄は無数にあるという話

最近、「菊と刀」と「消された一家」、2冊の本を読んだ。

菊と刀」は約80年前に書かれた古典でありながら、戦前の日本文化・日本人研究として今なお第一級と言われている本。アメリカの文化人類学ルース・ベネディクト著、1946年出版。
「消された一家」は2002年に発覚した「北九州監禁連続殺人事件」をまとめた本。

この2冊を通じて、私が注目したのは以下に示すふたつの人間の性質だ。

・人間の適応力の高さ。いかなる地獄にも意外と適応して生きていけてしまう
・地獄にいる当人は、自分自身が地獄にいることに気付けない

人間とは、人生のさまざまな局面でついつい環境に適応した行動をして、結果として他人の決めた人生を生きさせられてしまうものだ。これらふたつの人間の性質を強く胸に刻み込んでおけば、「自分の人生」を生きられる確率を少しは高められるかもしれない。

まずは「菊と刀」の話。

菊と刀」は日米の文化を比較することで日本文化・日本人の行動を研究する本だ。約500ページ、全13章の大ボリュームの本だが、その内容のほとんどは、本や映画、歴史、戦時中の日本人の行動を観察することに割かれ、その結論は以下の通りだ。
日本はアジア諸国の中で唯一、欧米に肩を並べるほどの近代化に成功したが、その社会の土台部分は欧米と大きく異なっていた。欧米がフランス革命アメリカ建国などを通じて旧来の封建的な社会制度を脱し、自由主義の土台の上に近代化を果たしたのに対し、日本は旧来の封建的な社会制度をほとんどそのまま残したまま近代化を果たした。
日本社会はまるで日本庭園のように完全に統制された美しさがある。しかしそれは、擬制の美しさだ。日本人は、菊の花に針金の輪っかを嵌めて育てる。そのお陰で菊の花は非常に美しい"あるべき形"で咲くが、引き換えに多大なストレスを強いられる。著者はこの菊のエピソードを日本社会になぞらえて本のタイトルに用いた。
私が本書で一番感動したのは、以下の部分だ(一部省略しながら抜粋)。

余計な気を回したり雑念にとらわれたりすることなく、自分の好きなように行動する事は、日本人にとって目眩く体験である。杉本鉞子は、英語のミッションスクールの「何を植えても構わない庭園」を与えられた体験を以下のように綴っている。「この庭園を与えられたおかげで、私は、今まで知らなかった個人の権利という感覚を知りました。個人の胸の中にこのような幸福があるという事実は、私にとって驚きでした。伝統に背くことなく、家名を汚すこともなく、親や先生や町の人たちを驚かせることもなく、世界中の誰も傷つけることなく、私は自由に振る舞うことができたのです。(他の女生徒たちが花を植える中、鉞子はジャガイモを植えた) この常識はずれの行為によって私が得た自由奔放な感覚。自由の精神がやってきて、私の心をノックしているのでした」それは新世界であった。日本庭園の「擬制的な自然」は、鉞子にとって、それまで仕込まれてきた擬制的な「意志の自由」を象徴していた。同様に、展覧会に出展される菊は植木鉢で栽培され、花に小さな針金の輪をはめることでその位置を固定する。針金の輪をはずす機会を与えられたとき、鉞子は陶然となった。それは、心に曇りのない天真爛漫な陶酔であった。菊は今まで窮屈な植木鉢の中で育てられてきた。そして、花弁を事細かく手入れされるままになってきた。それが今、自然な状態でいられるという純粋な喜びを見出したのである。日本は、新たな時代を迎えて、新しい生活様式においては、「個人の自制」に由来する旧来の義務は要求されない。菊は、針金の輪がなくとも、また、あのような徹底的な剪定をせずとも美しく咲くことができる。

このエピソードで杉本鉞子は、この「自由の体験」で戦前日本社会の厳しい制約のくびきから逃れた瞬間に初めて、戦前日本社会の厳しい制約とそれがもたらす多大なストレスに気づくのだ。戦前日本社会にも、自らに課せられた「応分の場」の役割を果たした上での自由や娯楽はあった。しかし部分的にでもこのような自由や娯楽が認められているからこそ、自分が生まれ育った世界が地獄であるとはよもや思わなかった。

次に「消された一家」の話。

「消された一家」は2002年に発覚した「北九州監禁連続殺人事件」をまとめた本だ。
主犯・松永太。松永は自らの会社の従業員、交際相手の女性、嘘の投資話に引っかかった相手などを次々にターゲットとして金を引き出した。松永はターゲットを"金主"と呼んだ。歴代の"金主"の多くは最終的に逃亡したが、松永の妻となった緒方純子とその家族6人(純子との関係:父、母、妹、妹の夫、妹の娘、妹の息子)および、嘘の投資話に引っかかった清志とその娘は監禁・軟禁・暴行・洗脳され、互いに殺し合い、時には自ら死を受け入れ、自分たちの手で死体を切断し煮て海などに遺棄するなど悲惨な結末を辿り、事件発覚まで生き残ったのは純子と清志の娘の2人だけだった。
以下は、約20年におよぶこの事件のうち、計6名が亡くなった3年間だけを抜粋した略年表だ。

1996(H8)年:清志(34) 虐待死、解体、遺棄される/純子 第二子出産/松永 4人目の"金主"を取り込む(が、翌年に逃亡する)
1997(H9)年:純子 2度の逃走未遂/純子の家族6名(父、母、妹、妹の夫、その息子と娘)を取り込み、監禁/純子の父(61) 虐待死、解体、遺棄される
1998(H10)年:1月、純子の母(58) 殺害/2月、純子の妹(33) 殺害/4月、純子の妹の夫(38) 虐待死/5月、純子の妹の息子(5) 殺害/6月、純子の妹の娘(10) 殺害 (5名とも遺体は解体、遺棄された)

なお、この一連の事件の中で主犯・松永太は殺人に直接手を下していないどころか、指示もしていない(とされる)。松永は彼らを洗脳し、精神的支配下に置くことで、彼らを自らの思い通りに動かしてこの犯罪を実行した。
松永の洗脳の手口は、睡眠・食事・排泄の自由を制限し、さらに100Vのコンセントから引き出した導線で"通電(電気ショック)"の制裁を与えるというもの。これが激痛で、それを何時間にも亘って続けるのだという。普段の会話の中で聞き出しておいたその人の"弱み"も恐喝の材料として利用する。家族や親類や友人に嫌がらせの電話を入れさせ、逃げ場を失わせる手口も印象的だった。
こうして書いてもあまりに荒唐無稽で実感が湧かないが、本書を全編読むと洗脳の実態が少しは理解できるようになる。
彼らは、松永の恐怖の支配下に長期間置かれた事で目先の"通電(電気ショック)"の恐怖から逃れる以外の事は考えられない無気力状態となり、驚くほど淡々と殺人や死体遺棄を実行した。また自らが死ぬ順番だと悟ると、自分から横になり首を絞められて殺害されもした。

にわかには信じられないほどの地獄が現代日本に出現していた訳だが、彼らはそんな地獄にも適応していた。松永の支配の下で役割を与えられ、不十分ではあっても食事・睡眠を摂る生活を何年も続けた。
彼らは自らが地獄のような状況に居ることを認識していただろうか。おそらく無気力状態で何も考えることができず、それを認識することは無かっただろう。

最後に私の友人の話をする。

彼は妻の尻に敷かれている。
自分の服や靴を自分で選ぶことも許されず、妻が選んだものを身につけている。
家では少しテレビを見ているだけで「そんな暇があったら家事をやったら?」とあからさまに妻の機嫌が悪くなるそうだ。なお、彼の妻は専業主婦だ。
私が遊びに誘っても、彼は予定を立てることができない。なぜなら彼がその日に出かけることが許されるかどうかは、その日の妻の機嫌次第だからだ。この前、彼を含めた仲間で昼から遊ぶ予定だったとき、彼は夕方になってようやく現れた。前もって妻に予定は伝えていたが明確な許しが前もって得られず、当日もできる限りの家事をこなし、夕方になって、機嫌の悪い妻を家に残して命からがら(?)逃げ出してきたらしい。
「消された一家」には及ぶべくはないとしても、彼はなかなかの地獄に生きていると思うのだがどうだろうか。
しかし彼はそんな"なかなかの地獄"に適応し、しかしその地獄っぷりを認識せず、「結婚して子供もいる自分はまあまあ幸せ」なんて思っている。グロテスクだ。


現代日本の平和(治安)や自由のレベルは、戦前日本社会や、現代の世界各国の平均と比べるとかなり良好だ。人類の長い歴史を比較対象にすれば、それはもう奇跡的なレベルで良好だ。
そんな恵まれた環境でも、ボケーっと生きていると誰かに型にハメられて地獄に落とされることになるのだから人の世は油断ならない。この世に地獄は無数にある。
この世に生きている以上、苦しみや悩みと全くの無縁であることは不可能だろうが、少なくとも「自分の人生」を生きたいと思う。

Googleフォトの動画容量を10分の1に節約する方法

2021年6月にGoogleフォトが「有料化」してから約1年が経過した。
私は有料化後も撮影した全ての写真と動画をGoogleフォトにアップロードする生活を続けた。その結果、Googleドライブのストレージがどれくらい圧迫されたか。
2021年5月31日のGoogleドライブの使用容量が2.85GBだったのが、この1年間で11.9GBになった。約9GBの増加だ。GmailGoogle Docsによる容量消費は私の場合はほとんどないから、この増加分はほぼイコールGoogleフォトによるもの。このままだとあと半年ほどで無料分の容量を使い切ってしまう。
嫌だ!課金したくない笑!
でも、日時はもちろん、顔識別や地図上から写真や動画を絞り込める検索機能やインターネット環境さえあれば全ての写真が見られる利便性は捨て難い。

そこで、Googleフォトに格納する動画を低画質化してGoogleフォトの容量を節約することにした。
Googleフォトの仕様(初期設定)では、動画ファイルは比較的画質の良いHD解像度(1080p)での圧縮となるので、高い圧縮率は望めない。
私はオリジナルの写真・動画は自宅のNASに保管し、二重化バックアップしているので、Googleフォトに高画質は求めない。そりゃあ、Googleフォトでも高画質で見られるならそれに越したことはないが、それで延々と課金が必要になるなら無料の範囲で利用できるように低画質に圧縮する方を選ぶ。
ファイルの保管は自宅NASのHDD、ファイルの検索とスマホでの閲覧はGoogleフォトという使い分け。

まず、1年分の動画ファイルをGoogleフォトから一括ダウンロードして容量を調べる。
402ファイル、6.14GBだった。
9GBのうち6.14GBは動画が使っていたことになる。やはり動画ファイルが占める割合は大きく、これを圧縮することができれば効果は大きい。

動画圧縮のサンプルとして用いる動画ファイルは、iPhone SE(第3世代)で撮影した約60秒のMOVファイル。「MediaInfo」というアプリで動画情報を調べると、映像と音声の仕様は以下の通り。
・映像が(15.3Mbps, 1920*1080(16:9), 30fps, AVC(High@L4))
・音声が(175kbps, 44.1kHz, 2ch, PCM)

この動画ファイルのオリジナルの容量と、Googleフォト上の容量(Googleフォトに一度アップロードした後ダウンロード)は以下の通り。
・オリジナル(iPhoneSE3オリジナル):126MB
Googleフォト上の容量:66MB

これを低画質で再エンコードする。Macのアプリ「HandBrake」を用いた。この分野では定番のオープンソース・ソフトウェアで、無料で使える。

「HandBrake」はキュー機能により複数ファイルを順次エンコードしていくこともできるが、今後日常的に実施するタスクになることを考えるとコマンドラインで動かしたい。CLI版の「HandBrake CLI」というのが見つかったのでこれを使う。

「HandBrake CLI」のインストールは以下の通り。

# この1行のコマンドでインストール完了。
$ brew install handbrake
# インストール確認。5画面分くらいの長〜いヘルプが表示されれば成功。
$ handbrakecli --help

エンコードのパラメータはコマンドラインオプションで指定できる。いろいろ試して、以下に決めた。スマホの画面の大きさで見て、少しブロックノイズが見える位の画質だ。
・コンテナ方式はMP4(出力ファイルの拡張子で自動判定される)
・フレームレート30fps, 固定フレームレート
・2passエンコード
・映像設定(480kbps, ビデオサイズ縦横最大500ピクセル・記録アスペクトと表示アスペクトが同じ)
・音声設定(64kbps, モノラル)

$ handbrakecli -i original.MOV -o test.mp4 -r 30 --cfr --two-pass --vb 480 --maxHeight 500 --maxWidth 500 --non-anamorphic --ab 64 --mixdown mono

この設定で、先ほどのサンプル動画ファイルが4.5MBになった。Googleフォトのデフォルト設定の容量と比べるとこうなる。
Googleフォト上の容量:66MB
・上記設定で低画質エンコード:4.5MB
Googleフォトにそのままアップロードする場合に比べ、10分の1以下に圧縮される計算!いい感じだ。

さて、ファイルサイズをいい感じに圧縮することに成功したが、その副作用として、動画ファイルが持っていた「撮影日時」に相当する情報は失われ、全てエンコードを実施した時刻に置き換わってしまう。
写真・動画管理において、「撮影日時」は極めて重要な情報なので、ここはしっかりやりたい。オリジナルの動画ファイルの撮影日時を取得・記憶しておき、エンコード実施後にそれを書き戻す。

Exifに規格が統一された静止画と異なり、動画ファイルのメタデータは規格が統一されておらず、撮影した機器などによって「撮影日時」の取得方法が異なるが、私の場合、いずれのオリジナル動画ファイル(iPhone撮影、SONY Handycam撮影)のタイムスタンプ(mtime:変更日時)も本来の撮影日時と一致していたのでMac標準の"date"コマンドでこれを取得しておく。

$ date -r  original.MOV
2022430日 土曜日 123456秒 JST

あらかじめ取得しておいたこの日時を、エンコード後のMP4動画ファイルのどこにセットするのか。
MP4動画ファイルのメタデータコマンドラインツール"exiftool"で見ると次のようになる。

$ exiftool test.mp4 
ExifTool Version Number         : 12.01
File Name                       : test.mp4
()
File Modification Date/Time     : 2022:06:08 21:00:00+09:00  # (F1)ファイルタイムスタンプ(mtime:変更日時)
File Access Date/Time           : 2022:06:08 21:00:00+09:00  # (F2) ファイルタイムスタンプ(atime:アクセス日時)
File Inode Change Date/Time     : 2022:06:08 21:00:00+09:00  # (F3) ファイルタイムスタンプ(ctime:inode変更日時)
()
Create Date                     : 2022:06:08 21:00:00  # (M1)
Modify Date                     : 2022:06:08 21:00:00  # (M2)
()
Track Create Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M3)
Track Modify Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M4)
()
Media Create Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M5)
Media Modify Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M6)
()

(F1)〜(F3)はファイルとしてのメタデータ(タイムスタンプ)で、(M1)〜(M6)はMP4コンテナが持つメタデータ

Googleフォトは、基本的には画像/動画ファイルのメタデータから撮影日時相当の情報が取得できればそれを優先して使用し、そうでなければファイルタイムスタンプを利用する模様。実際に、メタデータとして日時情報を持たない規格(多分)であるPNGファイルをGoogleフォトにアップロードすると、「(F1)ファイルタイムスタンプ(mtime:変更日時)」が撮影日時として使用される。
なお、上記3つのファイルタイムスタンプはLinuxファイルシステム由来で、MacOSXでは他に4つのタイムスタンプが追加されているそう。MacのFinderでは「変更日」と「作成日」が表示されるが、「変更日」はLinuxファイルタイムスタンプのmtimeで、「作成日」はOSXで追加された日時情報。
以下のページの説明が分かりやすかった。
https://zariganitosh.hatenablog.jp/entry/20130404/attribute_datetime

以上から、(F1)および(M1)〜(M6)の日時情報を正しい撮影日時で上書きしておけば、Googleフォトにアップロードしたときに正しい撮影日時が認識されるはずだ。
(M1)〜(M6)の日時情報の書き換えコマンドは次の通り。

$ exiftool -overwrite_original -alldates='2022:04:30 12:00:00+09:00' test.mp4

書き換え結果を確認すると、あれれ?
・(F1)〜(F3)のファイルタイムスタンプが現在時刻になった。これはOK.
・(M1),(M2)は指定日時に書きかわった。これも想定通り。
・(M3)〜(M6)の日時は変化なし、これは想定外。なぜ?
・「(M7)Date/Time Original」という項目が新規にでき、指定日時がセットされた。これも想定外。
いろいろ想定外の事もあるが、このまま続ける。

$ exiftool test.mp4 
ExifTool Version Number         : 12.01
File Name                       : test.mp4
()
File Modification Date/Time     : 2022:06:08 22:00:00+09:00  # (F1)現在日時に書きかわった
File Access Date/Time           : 2022:06:08 22:00:00+09:00  # (F2)現在日時に書きかわった
File Inode Change Date/Time     : 2022:06:08 22:00:00+09:00  # (F3)現在日時に書きかわった
()
Date/Time Original              : 2022:04:30 12:00:00+09:00  # (M7)新規に項目ができ、指定日時がセットされた
Create Date                     : 2022:04:30 12:00:00  # (M1)指定日時に書きかわった
Modify Date                     : 2022:04:30 12:00:00  # (M2)指定日時に書きかわった
()
Track Create Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M3)変化なし
Track Modify Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M4)変化なし
()
Media Create Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M5)変化なし
Media Modify Date               : 2022:06:08 21:00:00  # (M6)変化なし
()

「(F1)ファイルタイムスタンプ(mtime:変更日時)」は以下コマンドで書き換える。ついでに、OSXの「作成日時」も書き換えておく。

# (-d: 作成日時, -m: 変更日時)
$ setfile -d "04/30/2022 12:00:00" -m "04/30/2022 12:00:00"  test.mp4

これで低画質版の動画ファイルの作成がようやく完了。
シェルスクリプトを書いてこの処理を1年分の動画ファイル402個に適用すると、合計サイズが719MBになった。Googleフォト上の動画容量は6.14GBだったから、約8.5分の1のサイズに圧縮された。サンプル動画で試したときより圧縮率が悪いが、条件によって変わるのだろう。
Googleフォトに再エンコード動画をアップロードして従来の動画を削除する。計算によれば、6.14GB-0.72GB = 5.42GBの容量が節約できる計算。
Googleフォトのストレージ欄を確認すると、使用量が11.9GBから6.6GBになり5.3GB減少!再エンコードにより圧縮した容量とほぼ計算が一致し、今回の目論みは一応成功した。

しかし、細かい問題点がふたつ。
一つ目は、撮影日時が実際よりも9時間遅く認識されてしまうこと。9時間ずれといえば、原因が日本のタイムゾーン(JST, +9)の解釈の問題にあることはほぼ間違いない。規格上、タイムゾーンを記録することが明確に定められていればこのような問題は起こらないが、規格に解釈の余地があったりするとこういう問題につながるのだろう。この問題については、原因を深追いしてもいいことがなさそうなので、サクッと対症療法を行う。Googleフォトで今回の動画を複数選択して、9時間シフトさせて、解決した。
二つ目の問題点は、元々のiPhoneのMOVファイルには存在したGPS座標情報が、MP4変換により失われてしまうこと。これは今回は諦めた。2年くらい後に再調査すれば、ツールのUpdateなどにより解決するかもしれない。

最後に、今回作成したシェルスクリプトを添付する。おわり。

#!/bin/sh

# encodeMovForGooglePhoto.sh
# 動画ファイルをGooglePhotoにアップロードするために低画質エンコードするスクリプト

# パラメータ)
# 引数1: 変換したい動画ファイルが格納されたディレクトリ

# 機能説明)
# ・引数1で指定したディレクトリ内の動画ファイル(*.MOV/MP4/mp4)を低画質エンコードし、
# ・"MovForGooglePhoto/" という名称のディレクトリを新規作成し、その中にエンコードした動画ファイルを出力する。
# ・出力動画ファイル名は"orgfilename_s-size.mp4"

# 使用例)
# ./encodeMovForGooglePhoto.sh  photo_dir

# 1.指定されたディレクトリの存在有無チェック
in_dirpath="$1"
if [ ! -e "$in_dirpath" ] ; then
    echo "指定されたディレクトリが存在しません"
    exit 1
fi

# 2.ディレクトリ内の動画ファイル数を調べる
file_num=`find "$in_dirpath" -name "*.MOV" -or -name "*.MP4" -or -name "*.mp4" -type f | wc -l`
echo "動画ファイル数: $file_num"
if [ "$file_num" -eq 0 ] ; then
    echo "動画ファイルが存在しません"
    exit 2
fi

# 3.出力ディレクトリ削除・再生成
rm -rf "MovForGooglePhoto"
mkdir "MovForGooglePhoto"

# 4.ファイル毎のループ処理
# (空白を含むPathだと誤動作するので注意)
count=1
infile_paths=`find "$in_dirpath" -name "*.MOV" -or -name "*.MP4" -or -name "*.mp4" -type f`
for infile_path in $infile_paths;
do
    echo "$count : $infile_path"

    # (1) オリジナルの動画ファイルのタイムスタンプを記憶しておく
    date_str=`date -r  "$infile_path"  '+%Y/%m/%d %H:%M:%S'`

    # (2) 出力動画ファイルパスの文字列処理
    infile_name=`basename "$infile_path"` # filename.MOV
    outfile_name=`echo "$infile_name" | sed 's/\.[^\.]*$/_s-size.mp4/'` # filename_s-size.mp4
    outfile_path="MovForGooglePhoto/$outfile_name" # MovForGooglePhoto/filename_s-size.mp4

    # (3) 動画ファイルをエンコード
    # ・コンテナ方式はMP4(出力ファイルの拡張子で自動判定される)
    # ・フレームレート30fps, 固定フレームレート
    # ・2passエンコード
    # ・映像設定(480kbps, ビデオサイズ縦横最大500ピクセル・記録アスペクトと表示アスペクトが同じ)
    # ・音声設定(64kbps, モノラル)
    # (標準出力と標準エラー出力を両方ともログファイルに出力)
    handbrakecli -i "$infile_path" -o "$outfile_path" -r 30 --cfr --two-pass --vb 480 --maxHeight 500 --maxWidth 500 --non-anamorphic --ab 64 --mixdown mono >& MovForGooglePhoto.log

    # (4) 日時のフォーマットを変換する文字列処理

    # exiftoolコマンド用:(yyyy/mm/dd hh:mm:ss) -> (yyyy:mm:dd hh:mm:ss)
    date_str2=`date -j -f "%Y/%m/%d %H:%M:%S"  "$date_str"  +"%Y:%m:%d %H:%M:%S"`

    # setfileコマンド用:(yyyy/mm/dd hh:mm:ss) -> (mm/dd/yyyy hh:mm:ss)
    date_str3=`date -j -f "%Y/%m/%d %H:%M:%S"  "$date_str"  +"%m/%d/%Y %H:%M:%S"`

    # (5) エンコードした動画ファイルのメタデータを書き換え
    exiftool -overwrite_original -alldates="$date_str2"  "$outfile_path"

    # (6) エンコードした動画ファイルのタイムスタンプを書き換え
    # (-d: 作成日時, -m: 変更日時)
    setfile -d "$date_str3" -m "$date_str3"  "$outfile_path"

    ((count=$count+1))
done

セリフで振り返る『進撃の巨人』(9〜12巻)

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アニメ「進撃の巨人・シーズン5(ファイナルシーズン・パート2)」が2022年4月3日深夜の放送回「第87話:人類の夜明け」で最終回を迎え、残すは2023年に放送予定の「シーズン6(ファイナルシーズン・パート3)」のみ。

当方漫画勢。最終回まで読了しているが、ここらで一旦、原作漫画を全巻再読してみる。都合が良いことに、現在アマゾンプライムビデオの特典でシーズン1からシーズン5までが全て解放されているのでアニメ版も並行して全部見る。

本記事では、アニメ「進撃の巨人・シーズン2」に相当する原作漫画・第9巻から第12巻までを、印象深い劇中のセリフで振り返る。
「セリフで振り返る『進撃の巨人』(9〜12巻)」スタート!

■ 第9巻:「走らんかい!!」

ミケ「人は戦うことをやめた時初めて敗北する。戦い続ける限りはまだ負けてない」
このあと「やぁだあああ やめてぇええ」までがセットだが笑、ミケは1人で9体の巨人を引き受けた英雄だから大目に見てあげたい。これに関しては作者が遊びすぎ、意地悪すぎ。

サシャ「走らんかい!!」
くどいセリフが多い進撃の巨人の中で、シンプルな名言!

■ 第10巻:「もう俺には…何が正しいことなのかわからん…」

クリスタ「何か…武器があればいいのに…そしたら一緒に戦って死ねるのに…」
ユミル「彼らの死を利用するな。あの上官方はお前の自殺の口実になるために死んだんじゃねぇよ」
ユミル「お前はコニーや上官方とは違うだろ!本気で死にたくないって思ってない…いつも…どうやって死んだら褒めてもらえるのかばっかり考えてただろ?」
ウトガルド城でゲルガー、ナナバが巨人に殺され、武器を持たない5人だけが残されたときのユミルとクリスタの会話。ユミルはクリスタが好きだから、クリスタに生きる意思を取り戻してもらいたいと思っている。

ユミル「ただし約束だ…私がその約束を明かした時…お前は…本の名前を名乗って生きろ」
ユミル「クリスタ…お前の生き方に口出しする権利は私に無い。だからこれはただの…私の願望なんだがな。お前…胸張って生きろよ」
ユミル「自分なんて生まれてこなければ良かったと思ってた。ただ存在するだけで世界に憎まれたんだ。私は…大勢の人の幸せのために死んであげた…でも、その時に心から願ったことがある。もし生まれ変わることができたなら…今度は自分のためだけに生きたいと…」
塔から飛び降りて巨人化する直前のユミルのセリフ。ユミルは過去の自分と似た境遇にいるクリスタをなんとか救ってやりたかった。

コニー「オイ!ブス!!早くとどめ刺せよ!」
ブスとか言っちゃいけないとは思いつつも、好きなセリフ。かえってユミルとコニーの友情を感じてしまう。

エレン「死ね!!」
エレン「やった!!討伐数1!!」
いよっ!あんたが主役!

ライナー「きっと…ここに長く居すぎてしまったんだな。バカな奴らに囲まれて…3年も暮らしたせいだ」
ライナー「俺達はガキで…何一つ知らなかったんだよ。こんな奴らがいるなんて知らずにいれば…俺は…こんな半端なクソ野郎にならずにすんだのに…」
ライナー「もう俺には…何が正しいことなのかわからん…ただ…俺がすべきことは自分のした行いや選択した結果に対し戦士として最後まで責任を果たすことだ」
ベルトルト「ライナー…やるんだな!?今…!ここで!」
ライナー「あぁ!!勝負は今!!ここで決める!!」
ウォールローゼの壁の上で、唐突に開戦する場面のライナーのセリフ。最高に哀しい…。

エレン「ライナー…ベルトルト…このッ…裏切りもんがあぁああ」
エレン、巨人化して戦闘開始。訓練兵仲間だった頃の回想が入るのが哀しい。

■ 第11巻:「お前らは…兵士でも戦士でもねぇよ…ただの人殺しだ!」

エレン「なぁライナー、今お前がどんな顔してんのか知らねぇがお前ら本当にクソ野郎だよ。多分…人類史上こんなに悪いことした奴はいねぇよ」
エレン「てめぇはこの世にいちゃいけねぇ奴だ。一体何考えてたんだ?本当に気持ち悪いよ。お前の正義感に溢れたあの面構えを思い出すだけで…吐き気がしてくんだよ!このでけぇ害虫が!オレが今から駆除してやる」
エレン「何にせよ…最低の気分だ」
エレン巨人とライナー巨人の格闘戦の時のエレンの心のセリフ。

ハンネス「俺は…あの日常が好きだ…エレンに言わせりゃそんなもんはまやかしの平和だったのかもしれんが…やっぱり俺は役立たずの飲んだくれ兵士で十分だったよ。あの何でもない日々を取り戻すためだったら…俺は何でもする。どんだけ時間が掛かってもな…俺も行くぞ。お前ら3人が揃ってねぇと俺の日常は戻らねぇからな」
エレンが連れ去られて6時間もの時間が経過し、戦意喪失しかけたミカサとアルミンを励ますハンネス。野戦食糧バリボリ。

ベルトルト「ライナー…君は兵士じゃないだろ。僕らは戦士なんだから…」
ユミル「何となくだがわかった気がするぞ…おかしいと思ったよ壁を破壊した奴が命懸けでコニーを助けたりなんてな。自分が矛盾したことやってんのに無自覚だったんだよ。何でそんなことになったのか知らんが…おそらく、本来は壁の破壊を目的とする戦士だったが兵士を演じて生活するうちにどちらが本来の自分かわからなくなった…いや…もしくは罪の意識に耐えられず、心の均衡を保つため無意識に自分は壁を守る兵士の一人だと逃避し…そう思い込むようになったんだ。その結果心が分裂し記憶の改竄、話が噛み合わなくなることが多々あったって様子だなベルトルさんの呆れ顔を見るに…」
ユミル、説明が上手い笑。

エレン「なぁ…?ベルトルト、オレの母さんが巨人に食われた時の話をしたよな?どう思った?あの時…どう思ったんだ?」
ベルトルト「…あの時は…気の毒だと思ったよ」
エレン「お前らは…兵士でも戦士でもねぇよ…ただの人殺しだ。何の罪もない人達を大勢殺した大量殺人鬼だ!!」
ライナー「んなこたわかってんだよ!!お前にわざわざ教えてもらわなくたってな!!」
エレン「じゃぁ一丁前に人らしく悩んだりしてんじゃねぇよ!!もう人間じゃねぇんだぞお前らは!!この世界を地獄に変えたのはお前らなんだぞ!!わかってんのか人殺しが!!」
ライナー「その人殺しに何を求めてんだよお前は!?反省してほしいのか!?誤ってほしいのか!?殺人鬼に『人殺しは悪い』って説教を垂れたいのか!?それでお前は満足かよ!!もうお前らが知る俺らはいねぇんだぞ!?泣き喚いて気が済むならそのまま喚き続けてろ!!」
エレン「そうだな…オレがまだ…甘かったんだ。オレは頑張るしかねぇ。頑張ってお前らができるだけ苦しんで死ぬように努力するよ…」
ライナーやベルトルトにも大義があるという事を想像だにしていないエレン。ライナーやベルトルトも一切弁明せず"人殺し"の汚名を甘受するから話が噛み合わない。後にエレンも、ライナーやベルトルトと同じ地獄に堕ちることになる。

■ 第12巻:「お願いだ…誰か僕らを見つけてくれ…」

ベルトルト「一体どれだけ壁の外をさまよっていたんだ?」
ユミル「60年くらいだ。もうずっと…終わらない悪夢を見てるようだったよ…」
この設定は地獄すぎる…

ユミル「クリスタがそこまで来てる!!連れ去るなら今だ!」
ライナー「もしそうだとしても今は無理だ!別の機会にする!」
ユミル「機会を待つだと!?そりゃ私がお前らの戦士に食われた後か!?ダメだ!信用できない!!」
ユミル「私は…今じゃなきゃ嫌だ…!!今あいつに会いたい…!このままじゃ…二度とあいつに会えないんだろ?」
ライナー「クリスタはどうなる!?それでは助けられないぞ!?お前のわがままが理由でだ!!」
ユミル「ああ…それでいいよ。クリスタの未来を奪うことになっても私は生きてあいつに会いたいんだ。私はほんとにクソみてぇな人間だからな…」
ユミルは本心を言わないから、セリフの裏を読まなくてはならない。ライナーやベルトルトを従わせるために色々言っているが、結局のところユミルはいつでもクリスタを助けることしか考えていない。「第二の人生は自分のためだけに生きる」と誓ったはずなのに。この地獄みたいな世界の中いると、他人を死に追いやってまで自分が生きたいと思えず、自分の大事な人を守る事が生き甲斐になってしまうのかもしれないな。エレンもこのあとそうなっていくし。

ユミル「『お前のため』みたいなこと言ったけど本当は全部私のためだ。…頼むよヒストリア…私を…!私を助けてくれ!」
ヒストリア「言ったでしょユミル…何があっても私はあなたの味方だって!」
「自分のために生きろ」と散々ヒストリアに言ってきた手前、ウソをつくしかないユミルさん笑。

ミカサ「やはり先に…ユミルを…殺さなくては!!」
ヒストリア「待って…!ユミルを殺さないで!」
ミカサ「…それはユミル次第でしょ!?どうする!?私は邪魔する者を殺すだけ!選んで!」
ミカサ「私が尊重できる命には限りがある。そして…その相手は6年前から決まっている。ので、私に情けを求めるのは間違っている。なぜなら今は心の余裕と時間が無い」
この戦闘は3つ巴な上に、ユミル・ヒストリアの立場が定まっていないため複雑すぎて読者にとって心の置き所が難しい。その点、ミカサは分かりやすくていい笑。

ジャン「おいおいお前らこのまま逃げ通す気か?そりゃねーよお前ら…3年間一つの屋根の下で苦楽を共にした仲じゃねぇか…」
ジャン「ベルトルト、お前の寝相の悪さは芸術的だったな!…けどよお前…あんなことした加害者が…被害者達の前でよく…ぐっすり眠れたもんだな」
コニー「全部嘘だったのかよ…!?どうすりゃ皆で生き残れるか話し合ったのも、おっさんになるまで生きていつか皆で酒飲もうってはなしたのも…全部…嘘だったのか?なぁ!?お前ら…お前らは今まで何考えてたんだ!?」
ミカサ「そんなものわからなくていい。こいつの首を刎ねることだけに集中して。一瞬でも躊躇すればもうエレンは取り返せない。こいつらは人類の害。それで十分」
ベルトルト「だッ…誰がッ!!人なんか殺したいと!!…思うんだ!!誰が好きでこんなことをしたいと思うんだよ!!」
ベルトルト「人から恨まれて殺されても当然のことをした。取り返しのつかないことを…でも…僕らは罪を受け入れきれなかった…兵士を演じてる間だけは…少しだけ楽だった…嘘じゃないんだコニー!!ジャン!!確かに皆騙した…けどすべてが嘘じゃない!本当に仲間だと思ってたよ!!僕らに…謝る資格なんてあるわけない…けど…誰か…頼む…誰か…お願いだ…誰か僕らを見つけてくれ…」
四面楚歌で可哀想なベルトルト。ユミルはこの瞬間、ライナーとベルトルトに加担してあげようと思い始めた様子が表情だけで描かれている。

エルヴィン「進め!!エレンはすぐそこだ!!進め!!」
片腕を巨人に食われながら皆を鼓舞するエルヴィン。

アルミン「いいの?二人共…仲間を置き去りにしたまま故郷に帰って…アニを置いていくの?アニなら今…極北のユトピア区の地下深くで拷問を受けてるよ」
ベルトルト「悪魔の末裔が!!根絶やしにしてやる!!」
さっきまで萎れきっていたベルトルトがまた躁状態に…可哀想になってくる。

ヒストリア「ユミル!あなたが私に言った通り私たちはもう…人のために生きるのはやめよう。私たちはこれから!私達のために生きようよ!!」
ヒストリア「何だか不思議なんだけど、あなたといればどんな世界でも怖くないや!!」
ユミルの念願叶って、ついにヒストリアが自分のために生きる決意をした瞬間だが、ユミルは逆にベルトルト・ライナーに命を捧げることになるのが哀しい。

ミカサ「エレン聞いて。伝えたいことがある。私と…一緒にいてくれてありがとう。私に…生き方を教えてくれてありがとう。…私にマフラーを巻いてくれてありがとう…」
エレン「そんなもん何度でも巻いてやる。これからもずっとオレが何度でも」
さっきまであんなに勇敢だったミカサが、いきなりこんなにしおらしくなるのが不自然…。

ライナー「このまま故郷に行けばお前はまず助からないんだぞ…?逃げるなら…今だ」
ユミル「…何言ってんだバカ野郎。私はもう疲れた。もういいんだよ…もう」
ベルトルト「…ありがとうユミル…すまない」
ユミル「いいや…女神様もそんなに悪い気分じゃないね」
ユミルお疲れ様。