※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。
作品名:戦後七十年の真実/渡部昇一 (本 2015)
評価:★5(★★★★★)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/4594073077
日本の代表的な保守言論人、渡部昇一先生の著書。
先生は1930年生まれで幼い頃からとても聡明だったので、戦前の空気もとてもよく記憶されており、歴史の証言として非常に価値がある。しかも、ご自宅にあった雑誌を通じて、お生まれになる前の日本の空気も知っている。→「私が中学校に進んだ昭和17(1942)年頃になると、紙不足で新しい本が出なくなりました。そのため家にあった昔の『キング』などを丁寧に何度も繰り返し読むようになりました。そうしていると、なんとなく昭和初年の頃からの日本の様子をすべて知っているような感じになったのです。念のためにいっておきますと、『キング』は当時「発行部数百万部」といわれた国民雑誌です。それこそ皇室の話から外国人宣教師の話や女優の話まで、なんでも載っている雑誌でした。その雑誌を通じて、私は世の中に起きていることを知りました。」
先生が亡くなる2017年の2年前に書かれたこの本は、日本人・日本の歴史に関する先生の言論の集大成、遺言のような本だ。私も一読者として先生の遺言を受け止めて、微力ながら日本の長い歴史と未来のために人生を歩んでいきたいと思う。
以下、このレビューを書くにあたってもう一度本書を読み返しながら、特に重要と思った部分について抜粋してみた。
◆アメリカの日本占領政策は「日本人のインディアン化」を目指していた
>ご承知のように、アメリカの建国は有色人種である先住民のインディアン(ネイティブ・アメリカン)から国を奪ったところから始まります。したがって、彼らのDNAには、白人と有色人種が対等では困るという意識が刷り込まれていたはずです。戦争中の日本はアメリカ以外では機動部隊を持つ唯一の国でした。当時、航空母艦はソ連もドイツも持っていませんでした。大英帝国には航空母艦はありましたが、機動部隊は持っていません。ですから、機動部隊を使って戦争をする有色人種が現れたことは、アメリカ人にとっては許されざることでした。
そう考える彼らの深層心理の中には「有色人種が白人と対等になってもらっては困る」という伝統的な人種差別意識が間違いなくあったと思います。
だから、アメリカが日本を占領しに来たときに第一に考えたのは、一言でいうならば「日本人をインディアンのようにしよう」ということだったでしょう。
彼らの目には、日本人というのは日露戦争以来、自分たちが白人と同じレベルにあると考えているというように映っていたでしょう。だから、まずその意識を奪い、二度とアメリカに刃向かうことのないようにしなければならない。では、ある民族からその意識を奪うにはどうしたらいいか。それにはプライドを奪うことである。そしてプライドを奪う一番いい方法は、その国の歴史を奪うことである。どこの国の国民も、プライドのもとは歴史なのです。
◆昭和27年(1952年)にマッカーサー証言が報じられていたら戦後史は変わっていた
>(1951年、アメリカ上院でのマッカーサーの証言で)東京裁判を開いて日本を侵略国として断罪した張本人であるマッカーサーが、日本が戦争を始めたのは主として自衛のためであったと公に認めたのです。それはなぜなのか。マッカーサーは朝鮮戦争の指揮を執るうちに共産主義の脅威を感じ、日本が同じ脅威を常に感じていたことを身にしみて知りました。その結果、「日本は悪くはなかったのではないか」と思うようになったのです。
さらにいうならば、彼の証言の趣旨は、東京裁判のときに東條英機が最終弁論で述べた内容と同じです。日米開戦時の首相であった東條英機は「日本は常に受け身であった。やられたからやらざるを得なくなったのだ」と述べているのです。
私は「日本に戦争責任があった」という見方を「東京裁判史観」と呼んでいますが、「日本に戦争責任はなかった」という歴史観を「東條・マッカーサー史観」と名づけています。そして、あれから七十年たって振り返ってみれば、「東條・マッカーサー史観」のほうが正しかったということが明らかになってきています。
東京裁判を開いて日本を侵略国として断罪した張本人であるマッカーサーが、日本が戦争を始めたのは主として自衛のためであったと認めたのです。
これはマッカーサー自身が朝鮮戦争で共産主義の脅威を感じたうえでの証言でした。これによって急速に対日講和条約が進みました。マッカーサーが証言をしたのは1951年5月3日ですが、その年の秋(9月8日)にはサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が署名され、翌年4月28日に発効することになったのです。これによって日本は予想外に早い独立を実現することができました。
ところが、この最も重要なマッカーサー証言が日本には伝えられませんでした。別に極秘にされていたわけではありません。事実、『ニューヨークタイムズ』にはマッカーサー証言の全文が載っています。
当時はまだ占領下ですから、その部分は出せなかったという言い訳はあるでしょう。しかし朝日新聞の縮刷版で調べると、先に引用した証言の前後のマッカーサーの発言はすべて掲載されています。この部分だけが抜けているのです。意図的に抜いたのか、検閲を受けて抜かれたのかはわかりません。
そのときは仕方がなかったとしても、その後間もなく日本は独立を回復したのですから、そのときに当時のジャーナリズムが最初に報道するべきだったのはマッカーサー証言だったのではないでしょうか。
もしも講和条約が発効した1952年に「自衛のための戦争だった」というマッカーサー証言を日本人が知ったらどんなに喜んだことでしょう。あの頃はまだ軍人がたくさん生きていましたし、自分の夫、父親、兄弟が戦死したという人がたくさん生きていました。そういう人たちがどれほど慰められたかと思います。
◆敗戦利得者、日本独立反対派、第三国人
>占領下で特別有利な地位を得た知識人たちのことを私は「敗戦利得者」と呼んでいますが、この人たちは全面講和に賛成するということで立ち上がりました。その象徴的なリーダーは当時の東大総長の南原繁であり、全面講和推進の知識人が集まる総本山が岩波書店でした。
これに反対して単独講和を支持したのは慶應義塾大学の小泉信三塾長でした。小泉さんが『文藝春秋』に書いた文章の内容を私は今でも覚えています。
それは「単独講和とは西側陣営との多数講和であり、全面講和はその多数にソ連と僅かな衛星国を加えたものにすぎない。そのような全面講和に執着して、日本が占領されたままでいいのか」と、毅然として全面講和派に問いかけたものでした。当時、名の知れた学者で小泉先生以外に全面講和に反対した人はほとんどおられませんでした。
私はそれを読んで感激して、その気持ちをはがきで伝えたのを覚えています。そうしたら小泉先生から返事が来ました。「お互いに言いたいことを言いましょう」と書かれていた記憶があります。それ以来、私は小泉先生を尊敬しています。
要するに、講和条約に反対だった党は「日本の占領状況が続くことがいい」と考えたのです。全面講和という美名のもとに反対すれば日本が独立する可能性はなかったのですから、全面講和論者は即、日本の被占領状態延長主義者だったというわけです。
これが重要なのは、独立反対だった大きな野党第一党があったということです。東西冷戦の時代ですからアメリカ主導の講和条約には反対だという共産党の理屈はわかるとして、当時の社会党が反対したのはなぜなのか。私はこれが戦後日本に今日まで続く病原になっていると見ています。
(中略)それを理解するには、日本が独立せずに占領下にあることによって誰が得をするのかを考えてみればいいのです。日本の警察権が及ばない人たちのグループがあるということなのです。
いくつかのグループがありますが、とくに目覚ましいと思うのは在日コリアンです。朝鮮半島から日本に渡ってきたコリアンは副球の出身者のような人を除けば皆、極貧といっていい状況にありました。朝鮮自体が非常に貧しかったのですが、そのうちでもとくに貧しかった人たちが日本に渡ってきたといって間違いないでしょう。
そんな彼らは占領下の日本でほとんど全員が金持ちになりました。戦後にできた闇マーケットで儲けたのです。日本人でも闇マーケットに加わっている人たちはいましたが、皆、普察の厳しい取り締まりを受けました。しかしコリアンは警察が取り締まれなかったのです。それゆえ思う存分に儲けたわけです。
占領下にあって、この人たちは「第三国人」といわれていました。これは彼らを蔑視する言葉ではありません。なぜそう呼ばれたかというと、彼らが日本と戦った当事者ではないからです。つまり、戦後の日本には「占領軍」と「日本人」と「その他の人」がいたのです。この「その他の人」が第三国人です。この人たちはもちろん、日本が占領下であることが望ましいと考えていたことでしょう。
◆世界史上初めて開かれた東南アジアサミットであった「大東亜会議」
◆満州に安定をもたらした満州国の建国
◆米英ソの思惑によって泥沼化した支那事変
◆「勝てる戦争に負けた」という見方もできる先の大戦
大東亜戦争の経緯についても非常にわかりやすくまとめられている(抜粋は略)
◆占領政策基本法としてつくられた日本国憲法
>(GHQが日本を占領するための)基本法の名を「憲法」とすることにしたのです。占領政策基本法ですから、別に憲法学者がいなくても問題はなかったのです。
よく「憲法は素人が一週間でつくった」と批判されますが、GHQにしてみれば「どこが問題なのか」といったところでしょう。
もっと重要なのは、憲法の形をとって間接統治にしようとした発想がきわめて授滑なやり方であったということです。憲法は主権がなければ制定できないのですから、占領をしながら憲法をつくるというのは端からできない相談なのです。そういう状況下でGHQは憲法と称するものをつくって占領政策として押しつけたわけです。
しかも、憲法としての体裁をとるために、GHQは天皇を利用しました。言い方をかえれば、天皇は嘘をつかされたのです。なんとなれば当時は皇室が残るか残らないかは重大な問題であって、天皇としては抵抗できない状況にあったと考えられます。一種の脅迫状況にあったといってもいいかもしれません。
そのような状況に置かれて、天皇は「日本国憲法公布記念式典の勅語」という勅語を公布されたのです。
(中略)しかし、天皇の勅語にある内容とは全く違って、憲法は「自由に表明された国民の総意によって確定された」ものではありません。
憲法については一切の議論が日本には許されませんでした。せいぜい英文で書かれた憲法を翻訳するときの訳文について意見がいえるぐらいのものでした。
ですから、あの憲法は「占領政策基本法」だと認識すべきなのです。実際に宮澤俊義をはじめとする東大の憲法学者たちも、初めは「日本国憲法の制定は日本国民が自発的自主的に行ったものではない」し、「大日本帝国憲法の部分的改正で十分ポツダム宣言に対応可能」であるといっていました。
ところが後に宮澤俊義は変節してこの説を撤回します。そして、ポツダム宣言の受諾によって日本の主権は天皇から国民に移行したのだから、その時点で大日本帝国憲法は効力を失い、ポツダム宣言受諾後の総選挙で新たな主権者となった日本国民によって選ばれた来議議員が国会の場で審議をして制定された日本国憲法は国民の制定した憲法になるという「八月革命説」を唱えるのです。
この変節の裏にはGHQからの圧力があったものと思われます。おそらく公職追放を臭わされて脅迫を受けたのでしょう。当時の学者にとって公職追放ほど恐ろしいものはなかったのです。
ともかく、日本の憲法学者の頂点にいた宮澤氏が意見を変えたため、数人の例外を除けば、日本の法律学者はほとんどすべて日本国憲法のもとで憲法学の先生になっていくのです。これに反対して自殺した本物の憲法学者もいました。憲法学者である以上、成立の状況から見て、あれが憲法ではないことは皆わかっているはずです。だから今、日本は憲法が嘘であることを知っている人によって守られているという状況になっているといってもいいのです。
◆日本の歴史を奪うための先兵となった左翼知識人
>敗戦利得者のグループの中の一番大きな勢力は左翼の知識人で、皇室廃止を指令したコミンテルンの三十二年テーゼに直接・間接に関係して戦前に投獄されるとか、あるいは取締りの対象になったような人たちです。この人たちは戦後、歴史を奪うという立場の占領軍のもとで凱旋将軍のように大学に戻ってきて大きな力を振るいました。この人たちの意見に反対すると先生になれないため、大学はあっという間に左翼の教師たちの支配する場所になりました。
本来であれば日本が独立を回復すると同時に、これらの敗戦利得者たちは一掃されるべきでした。ところが、なんといっても野党第一党が独立に反対していたわけですから、それができませんでした。その弊害は一番わかりやすい形で言論界、そして教育界に残りました。さらにはっきりいえば、教育界でも義務教育を担当する日教組などは、戦争直後に占領軍が掲げた「日本人から歴史を奪うことによってプライドを奪え」という基本方針を継続させるほうに向かったわけです。
こうして歴史教育の学会は左翼の牙城となりました。とくに共産党にとっては日本に皇室のあることがそもそも目降りで、前に述べたように戦前にはコミンテルンから皇室廃止の指示も受けていました。そのため、戦前の歴史教科書の冒頭に載っていた『日本書紀』や『古事記』などの内容は大陸の歴史的史料と整合性のあるもの以外は出さないという方針になりました。
その結果、戦後の教科書には戦前にはなかった黒弥呼やら金印やらが歴史上の大事件のごとく取り上げられるようになりました。
しかし、戦前の日本の学者がこれらを知らなかったわけではありません。知ってはいましたが、重視しなかったのです。なぜかというと卑弥呼や金印の根拠となっている「魏志優人伝」が全く信用できないものであることを百も承知だったからです。
『魏志倭人伝』は魏の国の成り立ちを讃えるための歴史を書いたものですから、魏の影響力を誇示するような話ならば噂話程度のことでも書いたのです。卑弥呼にしても、事実というより噂の噂に聞いていたような話を使ったと考えていいでしょう。また「漢委奴国王印」と刻印された金印をもらったといいますが、それにしても日本の朝廷がもらったという証拠は何もありません。おそらく九州あたりにいた豪族がもらったものなのでしょう。
ご存じのように、シナの歴史は今でも捏造といっていいほどのでたらめさに満ちています。針小棒大というか、ありもしないことをでっちあげて強引に正当化しています。今ですらそうなのですから、いわんや千年も二千年も前のシナ人がまともな歴史を書くわけがないのです。
そういう不確かな大陸の歴史書の記述を採用する一方で、『古事記」や「日本書紀』という非常に充実した内容を持つ日本の歴史書が排除されてしまったのです。日本の歴史を学ぶときにこれらを除くというのは実に非日本的です。それは日本人の起源についての伝承を排除することを意味するからです。「古事記」も「日本書紀」も神話から始まっていますが、日本の歴史を語るときに神話を除くわけにはいかないのです。なぜならば、神話時代の王朝が現代にまで続いている、世界にも稀な国が日本という国であるからです。
◆戦後の日本を大きく変え、多くの禍根を残した家制度の破壊
>戦後、天皇家はかろうじて守られたのですが、日本の家制度は大きく変わってしまいました。家制度というのは誰がつくったかわからないような制度ですが、昔から日本では家というものを大切にしてきました。いわゆる家父長制で、長男が代々家を継ぐという形で家を守ってきました。
ところが、戦後、突如として家制度を廃止することになりました。憲法という名の占領政策基本法で、結婚は家を次世代に繋いでいくためのものではなく、夫婦二人だけの問題になりました。
昔の法律では、結婚の大きな目的は家系を絶やさないところにあったように思います。ですから子供ができないときは養子をとって家を守り続けたわけですが、戦後はそれがなくなって夫婦二人を中心にすることになったのです。そのように変わったと知ったときは驚きました。
(中略)昔は「皇室というのは日本人の総本家だよ」といえば誰もが納得しました。理屈は必要ありませんでした。ところが、今はそういわれてもピンとこない。このままでは今後、皇室の存続に対して説明が必要になるような気がします。それは結果として、皇室の存続にかかわる問題になってくるのではないかと思います。これは戦後一番変わった重要な点ではないでしょうか。
【目次】
◆第一章 私の履歴書(序章)
・大恐慌の時代に生まれる
・満洲国の建国がもたらした日本国内の好景気
・二・二六事件と『キング』と講談社の絵本
・流行歌に見る時代の世相
・配給制度が始まり、戦争への危機感が高まる
・日米開戦の大本営発表に感じた興奮と爽快感
・戦中でも使っていた「キングズ・クラウン・リーダーズ」
・昭和十九年になると明らかに学校の雰囲気が変わってきた
◆第二章 終戦とは何だったのか
・玉音放送を聴いても全くなかった敗戦の実感
・戦争が終わっても続いた動員令で開墾作業に駆り出される
・中学の授業が再開され、生涯の恩師・佐藤順太先生と出会う
・日本人のインディアン化を目指したアメリカの長期占領計画
・サンフランシスコ講和条約成立の背景にあったマッカーサー証言
・昭和二十七年にマッカーサー証言が報じられていたら戦後史は変わっていた
・今にまで尾を引く単独講和派と全面講和派の対立
・戦後の闇マーケットで大儲けした在日コリアンの支持を受けていた社会党
・世界史上初めて開かれた東南アジアサミットであった「大東亜会議」
・果たして日本は侵略をしたのかー①侵略戦争の定義
・果たして日本は侵略をしたのかー②満洲に安定をもたらした満洲国の建国
・果たして日本は侵略をしたのか|③米英ソの思惑によって泥沼化した支那事変
・「勝てる戦争に負けた」という見方もできる先の大戦
◆第三章 終戦後、何がどう変わったのか
・占領政策基本法としてつくられた日本国憲法
・日本人の手に憲法を取り戻すために必要な明治憲法への回帰
・二十万人以上が引っかかった恐怖の公職追放令
・日本の歴史を奪うための先兵となった左翼知識人
・GHQが天皇の存続を許した理由はどこにあったのか
・神話が現代まで続いている世界唯一の国
・日本の虹を見るとは「皇室がいかに見えるか」ということである
・敗戦は日本の五度目の国体の変化ととらえることができる
・戦後の日本を大きく変え、多くの禍根を残した家制度の破壊
◆第四章 主権回復後の日本-冷戦と安保条約
・日本が受諾したのは東京裁判そのものではなく、その諸判決である
・アメリカ人の弁護人も首を傾げることばかりだった東京裁判
・サンフランシスコ講和条約ではなく東京裁判に従った外務省への疑念
・社会主義のダメさ加減を身にしみて知った留学時代
・「岸首相を励ます会」をつくって改定安保条約に賛成する
◆第五章 高度経済成長と東京オリンピック
・「所得倍増」のスローガンで国民の目を政治から経済へ向けた池田内閣
・自由貿易体制下であれば絶対の強みを発揮する日本の底力
・日本の経済成長を支えた石油と、画期的な発明であったコンビナートの建設
・昔も今もエネルギーの安定供給は日本の絶対的生命線
・福島原発事故に見る二つの不思議と日本独立反対派の扇動
・インフラ整備に大きな役割を果たした東京オリンピックの開催
・女性を家庭から解放した電化製品とファミリーレストラン
◆第六章 冷戦の終結と失われた二十年
・ソ連は経済から崩壊することを予言したハイエク先生
・ソ連の誕生と崩壊が日本にもたらした大きな影響
・左翼思想に代わって世界を支配し、グローバリズムの恩恵を蒙ったユダヤ
・大蔵省の愚策によって引き起こされたバブルの崩壊と失われた二十年
・安倍政権になってようやく正常化しつつある歴史教科書
・「従軍慰安婦」「女子挺身隊」..・・・虚報を流し続けた朝日新聞の大罪
◆第七章 残された課題
・恐れるべきは少子化ではなく「孫ゼロ化」
・未婚化の原因と解消の手立てを考える
・あまりにも危険な移民政策
・火力や原子力に代わる新エネルギーは簡単には生まれない
・アメリカが日本を切り捨てる可能性も全くない話ではない
・中国の標的は日本であると考えないわけにはいかない
・快適便利な生活を長く続けるための三条件|軍事・エネルギー・食糧
・これから反グローバリズムの潮流が必ず生まれてくる
◆あとがきー戦後七十年、歴史の振り子は今どこにあるのか