3週間くらい前、「やめようアメカジ!」というブログが面白い、という話題がTwitterで流れてきて、早速見に行ってみた。とても面白かった。
【リンク】
https://note.com/antiamecasual/all
>ブログタイトル「やめようアメカジ!」
>プロフィール:誰もが不幸になる恐ろしいファッション、アメカジを批判し続けるアカウントです。ここで言う「アメカジ」の解釈は人それぞれで構いませんが、筆者としては90年代からのヴィンテージ古着ブームやハイテクスニーカーブームなどを起源とする日本ならではのアメリカンカジュアルを想定しています。
そして、記事のタイトルが古い順に
・アメカジという世界一虚しいファッションについて語るブログ
・自分で何も決められないアメカジ野郎
・アメカジ野郎のしょうもなさすぎるファッション
…と続き、
・更新中断のお知らせ
というタイトルの記事で「あえて露悪的な書き方をして注目を集めたは良かったが、バズったことでこのブログの主張を無批判に受け入れる人が現れてほしくない」として更新を中断している。
記事数は全て合わせて17個。記事数が多くないところも良い。
アメカジってたかがファッションジャンルのひとつだろうに、これほどまでに強烈に嫌悪しているところが、「一体、何事なんです?」と興味を惹かれるし、笑えるwww。
しかし、中身を読んでみると結構まともな事を言っていて、気に入った。
私が特に気に入った記事をふたつ選んだ。
【スニーカーに操られる悲しきアメカジ野郎① (2023年4月16日)】
>見も蓋も無いのですが、多岐にわたる(と本人たちは思っている)アメカジ野郎が大好きなものを一言で言ってしまえば「名前がついているもの」です。
>「名前がついている」ということは、「世間に認知されている」ということであり、「世間的な価値が確定しているもの」です。
>逆に言えば、アメカジ野郎は「世間的な価値が決まっていない」「世間的に認知されていない」「名前がついていない」ものが大嫌いです。大嫌いどころか、恐怖の対象ですらあり、自分の生活にそういうものが入ってこないように常に警戒しています。
>アメカジ野郎が大好きな「名前」を一つ一つ全てに与えられたものの中で最も可哀想な製品がスニーカーです。
>アメカジ野郎は、靴が単に靴であるだけで選ぶことが怖いのです。その靴に名前があって、価値が確定しているから選ぶのです。その名前も価値も他人が付けたものです。
>アメカジ野郎は、スニーカーを通して他人が認めた価値を買っているのです。
このブログの中で一番好きな主張。
「名前がついているもの」は「価値が世間的に認知されているもの」であり、ゆえに未熟な人(人生の選択を楽しみながら自分自身でできない人)は「名前がついているもの」を好む、という主張。
言われてみれば確かにそうだ。そして、世の中にたくさんあるブランドというものの存在意義の一部もそこにある。
しかし、ブランドの存在意義はそれだけではない。
ブランドの存在意義は大きく言ってふたつあると考える。
ひとつ目は「品質の保証」、ふたつ目はこのブログの著者が批判している「他人が価値を認めている保証」。
ひとつ目の代表格は「ユニクロ」やモバイルバッテリーのブランド「Anker」が挙げられる。これらのブランドは、衣服が十分な品質で1,2回の洗濯ですぐにダメにならないことや、モバイルバッテリーが十分な品質で異常な発熱をしたり爆発したりしないことを保証してくれる。
ふたつ目の代表格は「ベンツ・BMW・フェラーリ」などの高級外車ブランドや「ルイヴィトン・エルメス」などの高級バッグブランドや「ロレックス」などの高級腕時計ブランドが挙げられる。
前者のブランドのユーザーは「見て!知って!私が今着ているのは『ユニクロ』です!」などとは思わないけど、後者のブランドのユーザーは「見て!知って!私はベンツに乗っていて、ルイヴィトンのバッグとロレックスの腕時計を身につけています!」と思っている。
前者のブランドは大いに活用したいが、後者のブランドにハマるのはほどほどにしたい。
【どうして私がアメカジを嫌っているのか (2023年9月18日)】
>アメカジはミルクです。ファッションに全く興味が無かった幼児が初めて触れるファッションとして、歴史やウンチクらしきものがあり、知る楽しみ、集める喜びを感じやすく、「ファッションは楽しい」という感動を得やすすぎるのです。しかし、そこに自分の考えやセンスはありません。全てが雑誌や古着屋が決めた価値観で決められています。四十代アメカジ野郎が集まると今だにGETONやBOONの話をしていませんか。彼らは年だけ重ねて今だにママである90年代ファッション誌の母乳だけを飲んで、ママの言いつけだけを守って古いジーパンやスニーカーを身に着けてアメカジママに褒めてもらうことに生きがいを感じているのです。
>カタやアイテムが完全に決まっていて、過去に固定化された手本があり、不正解がなさすぎるアメカジは、母乳のようにファッション乳児を守ってくれます。
この主張も面白かった。
ただ、当然ながら「ミルク」や「母乳」にも役割があり、大事なものだ。誰でも最初は他人やテンプレートの模倣から入り、やがて自分のスタイルを確立する。
いつまでも「ミルク」や「母乳」から離れられないからイタいのだ。
実際、高校生や大学生の時期にイケてた人たちってのは、その時期にうまく「ミルク」や「母乳」を使いこなした人たちだ。
自分は当時、ファッションの勉強をせず、価格だけで衣服を選んでいたから、めちゃくちゃダサい格好をしていた…笑。
このブログの著者が主張するように、ブランド(=メーカー)の商業的な思惑に踊らされるのは非常に虚しいことだと、私も最近になってとみに感じるようになった。
高校生や大学生の頃はみんな身につけているものに大差はないが、30代を過ぎると、小金持ちはみな高級外車や高級ブランド品で我が身を飾り立て始める。
高級外車も高級バッグも高級腕時計も、所詮どっかの誰かが作った製品じゃん、と虚しく感じる。
もっと言えば、海外旅行とかもそうだ。小金持ちはやたらと国内・海外旅行に言って高級リゾートに宿泊する。私も多少経験があるが、高級ホテルに泊まり、実は大して興味もない歴史・景観スポットを巡り、高級ホテルに泊まり、ちょっと浮かれた気分になって大して欲しくもない土産品を買い、旅程が終わって家に帰る。1年もすると、大した思い出になっていないことに気づく。
虚しい気分になる原因は、両者がともに「消費」行動だからだ。
本当に幸せな状態というのは「お金をたくさん持っていてなんでも買えること(=消費)」ではなくて、「他者に貢献して感謝され、結果としてお金を稼ぐこと」だ。
私もアラフォーとなり、そろそろ人生の折り返し点。「消費」中心の人生から一歩進んで、「他者に貢献して感謝される」人生に進みたい。
自分の「製品」を作りたいし、海外「旅行」の代わりに海外「事業」をする人生にしたい。