週休3日サラリーマンのブログ

空気を読まないサラリーマンをやってます。1980生まれ男です。既婚。2011年生まれ息子、2013年生まれ娘あり。

(チラ裏レビュー) すずめの戸締まり (映画 2022年)

※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。

作品名:すずめの戸締まり
リンク:
www.amazon.co.jp

評価:★5(★★★★★)

2024年4月、金曜ロードショーで鑑賞した。2022年12月に小学生の娘と劇場で鑑賞して以来、2回目の鑑賞だったがとても感動した。

この作品は、東日本大震災(と阪神淡路大震災、そのほか近年に日本で発生した地震)により犠牲になった人や被害を受けた人の心の傷を供養する映画だ。

“うしろ戸が開”いたとき、その地に残っている人々の思い出の声をすずめは聞き、そして鍵をかけて”戸締り”する。これは供養だ。楽しかった思い出と、それを失った悲しみに背を向けるのではなく、その思い出と悲しみにしっかりと目を向けた上で心に区切りをつける。それはまさに今、東日本大震災から10年ちょっとのこのタイミングで日本人がするべき心の整理だと思う。

「ただいま」「おかえり」「いってらっしゃい」普段家族の間で交わすこの挨拶が、この映画ではとても心に残り、心を揺り動かす。

それから、この映画では”鍵をかける”という行為も非常に心に残る。”鍵をかける”のは一般的には何かを閉じ込めるようなネガティブな行為の暗喩だが、この作品では違う。映画の最後ですずめはいつもの通り、家に鍵をかけて、自転車の鍵をあけて、自転車を漕ぎ出す。大事なものに鍵をかけるからこそ、今、目の前の新しい1日に向き合うことができるのだと気付かされる。

私は関東民なので、阪神・淡路大震災の被害は受けていないし、東日本大震災でも”1日帰宅難民”や計画停電など軽微な被害しか受けていないのでこの映画で”もらい泣き”するだけなのだが、まだ震災の被害から心が立ち直れない人がいたら、この映画から勇気をもらえたらいいなと願う。

この映画でストーリー的にひっかかる点がひとつある。なぜ、ダイジンとサダイジンは終盤に”ミミズ”と戦い、再び要石となって地震を封じ込めることに協力してくれたのか?だ。1回目に鑑賞したときにはよくわからなかったのだけど、2回目に鑑賞した今、私なりの解釈がある。

ダイジンは、震災で亡くなった人たちの象徴なのではないか。彼らの人生はその先まだ続くはずだったのにその日突然、絶たれた。「まだ生きたかった。」この思いがダイジンの「すずめ、あそぼ。」にこもっているように思う。だけど、生き残った我々はその思いに応えることはできない。我々にできるのは彼ら(ダイジン)に対して「つらいよね、ごめんね。」という祈りを向けてあげることだけ。この祈りが、「すずめ、嫌い。」としょぼくれてたダイジンを再び輝かせる。ダイジンはこれから、みんなを守護する”神さま”として生きるのだ。

…こんな考え方は生き残った者の自分勝手な解釈なのかもしれない。だけど、いつだって私たちがすべきなのは、自分の”今”を精一杯生きることだ。きっと、ダイジンもそれを分かって見守ってくれるはずだ。