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空気を読まないサラリーマンをやってます。1980生まれ男です。既婚。2011年生まれ息子、2013年生まれ娘あり。

★1(★☆☆☆☆) 戦場にかける橋(映画 1957年) レビュー

※)これは”チラ裏”レビューです。あまり十分な推敲もしておらず、本来はチラシの裏にでも書いて捨てるレベルの駄文ですが、ここに書いて捨てさせていただいております。この先は期待値をぐっと下げて、寛容な気持ちでお読みください。ではどうぞ。

作品名:戦場にかける橋(映画 1957年)
評価:★1(★☆☆☆☆)
リンク:https://www.amazon.co.jp/dp/B00FIWPFV4

2025年2月、「午前十時の映画祭」企画で劇場で鑑賞した。原題は「Bridge on The River Kwai (クワイ河にかける橋)」。

アカデミー作品賞も獲得した名作映画とされるが、あまりにも歴史的事実を歪めて日本や日本人を不当に貶める映画だったので評価は★1(★☆☆☆☆)とした。

映画は100パーセント事実と同じように作ることはできない。映画的演出のために、歴史的事実と多少の乖離が生じることはよくあることだし、それは必要なことだと理解もしているが、この映画はその範疇を大きく逸脱している。

映画の中で歴史的事実と異なることを挙げる

・日本人の鉄道敷設技術は低く、白人様が立派な橋を建設してあげた:→誤り。モデルとなった泰緬鉄道はタイ南部からビルマ南部に至る415キロの路線で、タイ政府が協力し、計画から完成まで日本人の高い技術により進められた。捕虜は使役したが、意図的に不良を仕込まれる可能性があるので、設計などの重要業務を任せることはできず、運搬などの単純作業に限られた。泰緬鉄道における橋梁の割合は大きく、橋梁の延長は16キロにもなったというから、低い橋梁技術だったなら完成できたわけがない。

・「ジュネーブ協定に基づき、将校は労役を拒否する」と主張するイギリス人大佐ニコルソンに対して、捕虜収容所の管理者である齋藤大佐が機関銃を向けて脅迫、イギリス人医師がとりなしてなんとか発砲は思いとどまるが、そのままイギリス人将校たちを炎天下に一日中立たせる:→捏造または悪意がある誘導。直接的に日本軍が捕虜を死亡させる描写は無かったが、映画の中の日本軍の暴力的な描写を見せて、泰緬鉄道の建設作業中に大量の犠牲者が出たという有名な史実と組み合わせると、まるで日本軍の虐待により大量の死者が出たかのような誤った解釈が成り立ち、この映画のねらいはおそらくそこにあると思われる。実際の死因のほとんどはコレラ赤痢マラリヤなどの疫病と食糧不足による栄養失調の組み合わせであり、日本軍の中からも大量の死者が出ている。そもそもビルマ方面で補給を待っている日本軍のためにも早く完成させなければならず、そのためには大切な労働力である捕虜を殺すことはあり得ない。また、「カーネル大佐(=クワイ河マーチ)の口笛を吹くスコットランド隊」の使役に関わった鶴田勝陸軍少尉の記録では、将校は原則就役させず、歌を一緒に歌ったり笑い声が上がったり、日本軍とスコットランド軍は友好的な関係を築けていた様子が描写されている。

・ニコルソンが工事の計画をするようになり「1日のノルマを日本兵は1.5ヤード、英兵は2ヤードと考えたが、ライバル意識を刺激するためにどちらも2ヤードでどうか」、齋藤大佐「す、すでにそう命令済みである汗」:→誤り。工事を指揮した鉄道第九連隊大隊長元陸軍少佐の菅野廉一氏の記録によると、「日本兵は一日四から七立米が基準であるが、捕虜や労務者は一立米であった。」とむしろ日本兵の方が働いていることが分かる。また、日本人の齋藤大佐の「無能」っぷりの描き方があまりにもあからさますぎて見ているこっちが恥ずかしくなるほどである

・半裸で床に胡座をかき一日中齋藤大佐をうちわで扇ぎ続けるだけの役割の現地人、一方イギリス軍が雇用する現地人は綺麗な白い制服を着ていて人間らしい扱いを受けている:→これは実際のところどうだか分からないが、たぶん逆ではないだろうか。一般的に言えば日本人よりも白人の方が現地人を人間扱いしていなかっただろうというのが私の認識である。日本は理想通りに行かなかったとはいえ「アジアを欧米植民地から解放・独立させる」という理念を掲げていた。一方欧米諸国は、徹頭徹尾アジアを植民地として支配し、利益を搾取することを前提としている。信じ難いことに、日本が敗戦して撤退した後でさえも植民地支配を再開しようとした。それにしてもこの描写も、あからさまな対比で見事なプロバガンダ映画演出である笑。

・「クワイ河にかかる橋」爆破:→そのような史実はない。

・炎天下に置かれた営倉(通称 オーブン)に数日間監禁:→本当にあんなことしたら数時間で死ぬでしょ

・白人は現地女性にもモテモテ、その女性にちょっかいを出してくる日本兵はキモイ:→これも別に事実と異なるとまでは言えないが、あまりにもご都合主義で安直な演出だ。日本兵がちょっかいを出してきたのはシアーズ一行が秘密の作戦行動をしている最中のことだったので、日本兵を銃殺することは作戦が漏れることを防ぐために必要なことだとは思うが、それを女性にからめたエピソードにしてくるあたり、日本人としてはとても胸糞悪いと感じた。

以上に挙げたことからも、この映画が歴史的事実を歪曲し、白人至上主義、アジア人差別に基づいて製作されたプロバガンダ映画であることは明らかだ。このあからさまなプロバガンダ映画を、当の日本人はどう評価しているのか。外国人のレビューを排除するために、日本の映画レビューサイト「Filmarks」の評価を見てみた。評価は5点満点中、3.7とかなり高い。1.0〜2.0の評価をつけている人は2%しかおらず、歴史的事実との相違や人種差別的主張について言及して糾弾する意見も極めて少ない。

なんと情けないことだろう。

我々が今、当たり前のように映画を楽しむことができるのはなぜか。平和で自由で平等で経済的にも恵まれた現代日本があるからである。それは誰のお陰か。そう遠くない私たちの父祖たちが白人たちの横暴に対して勇敢に立ち向かったお陰である。

この作品を「名作映画」として鑑賞して文化人を気取ることよりも、このプロバガンダ映画の嘘を糾弾して父祖の名誉を回復することの方が、日本人として生まれたひとりの人間としてはるかに大切なことではないだろうか。

譬え話だが、ある日我が家に強盗が押し入り両親が殺された、後日その強盗が「家に招かれて殺されかけたけど正当防衛で返り討ちにして生き残りました」ってでっち上げの内容の映画を公開したら、その映画を「面白い映画だね〜」なんて見ている場合じゃないという話。これはもう、映画の内容以前の話なのだ。

「日本はアジアを植民地支配した」それはまあ事実だろう。しかし当時の弱肉強食の世界情勢の中にあって、綺麗事だけ言っていては生き残れなかった。そんな残酷な世界情勢の中で日本は十分に思いやりと勇気をもって世界と戦ったと思う。

白人たちは全世界征服まであと一歩だった。アフリカ、インド、南アジア〜東南アジア、オーストラリア、北米、南米を侵略し先住民族を駆逐しあるいは植民地化し、あと一歩で全世界征服を達成しようというその時、日本が「アジアの独立」の理念を掲げて白人に立ち向かった。日本は戦争には敗れたが、アジアの国々が戦後次々に独立を果たしたのは、この日本の頑張りのお陰である。それは歴史の流れを大局的に見れば紛れもない事実。おそらく日本の働きがなかったら、今頃世界は白人の物となり、黒人とアジア人は全員奴隷になっていた。

白人たちは日本のせいで全世界征服に失敗し「アジア人のくせに生意気だ」と日本を逆恨みする気持ちがあるから、歴史的事実を歪曲してまでこのようなプロバガンダ映画を作った。その時は白人たちは溜飲を下げる思いだったかもしれないが、誰でも事実を調べることができる現代では嘘は必ず暴くことができる。しかもアカデミー作品賞まで受賞したこの名作映画の存在を消すことはできない。

この嘘に塗れたプロバガンダ映画は白人の歴史の恥部である。この卑劣な作品を作った監督は「アラビアのロレンス」の監督でもあるデヴィッド・リーン。原作小説を書いたのはフランスの小説家ピエール・ブールで、もうひとつの代表作「猿の惑星」もまた日本人蔑視がメインテーマ。人種差別がライフワークか、恥ずかしい奴だ笑。